東京木材問屋協同組合


文苑 随想


田沼意次と松平定信(2)
-今日の経済社会と重ね合わせて-

榎戸 勇

 松平定信(1758?1829)が奥州白河藩主になったのは天明3年(1783)25才の時である。藩主になった直後に東北地方は冷害のため,徳川時代最大と言われた天明の大飢饉に襲われた。定信がまっ先に行わねばならない仕事は藩民の救済である。定信は徹底した大倹約を行うと共に,藩民の年貢を免除し米に余裕のあった越後方面から米を買付けた。このことは家臣(田安家は一般の大名と異なり家臣が少ないので,家臣の大部分は従来からの城付きの武士達である。)や藩民を感動させた。「今度おみえになった殿様は実に温かいお気持ちの方だ」との評判が高まった。定信は,藩主は民の父母でなければならないと考えていたのである。

 定信は政策の方針を,農民の農業への専念義務。目先の利益を目標とする製品の生産制限。余った穀物の貯蔵奨励。勤労のすすめ。質素倹約。忠孝のすすめ。等を基本にして政治を行った。

 白河藩主松平定信を老中にしようという政治工作は御三卿の筆頭である一橋治済である。将軍家の跡取りが途絶えたため紀州藩主から8代将軍になった徳川吉宗は,尾張,紀州,水戸の御三家にならって,末永く自分の血を引く子孫を将軍にするため御三卿をつくった。一橋家,田安家,清水家である。名稱は全て江戸城の門の名前で御三卿はその門の近くに居を構えたため,このように呼ばれたのである。当時の将軍徳川家斉(11代将軍)は一橋治済の長男なので,同じ御三卿の松平定信が老中として補佐してくれれば将軍家斉にとって,こんな安心できることはないと一橋治済は考えたのである。

 松平定信は老中になり,朱子学(儒学)を政策理念とした。定信は,農民の意識改革。田沼病(贅沢)の払拭。米の生産を中心とし,高価値化した他の製品の生産抑制。荒れ地を開墾して新田をつくり米の増産。農村人口を増やすため農民に小児養育補助金をつくり農村の多産を奨励。全国的に普段から食糧や生活用品を保管しておく倉庫の建設。等々である。

 また,当時江戸湯島に聖堂と呼ばれる学校があった。(現在も有る)林羅山が徳川家康の時代に私塾として上野忍ヶ丘に建てたものを5代将軍徳川綱吉が文京区湯島に移築したものである。湯島の聖堂はその後次第に幕府設立の大学の色合いを深めた。定信はここで教える学問は朱子学(儒学)を正学とし,異学を教えることを禁止した。田沼時代に思想が自由になったため,賀茂真淵,本居宣長等の国学,また荻生徂徠の唱えた徂徠学等も盛んであった。徂徠は武士はそれぞれの藩土へ帰って鍬を握って土を耕すべきだと主張した。徒に江戸で消費生活をしているのは無駄な食盗人だと言うのである。しかし,これは参勤交代にもとづく幕藩体制の根幹をゆるがす問題である。幕政批判者だとして徂徠学は禁止された。

 幕府の学校が朱子学を正学としたため,諸藩の学校もこれにならわざるを得なくなった。
 定信は幕府の役人の採用は朱子学の信奉者に限定した。諸藩もこれにならってそうした。従って,定信の時代は朱子学の時代と言われている。
 また,定信は武士は武術の修練をしなければならないと定めた。田沼時代に武士が三味線を習い俗曲や浄瑠璃を嗜むことを争ってしていたことを痛烈に批判し禁止した。定信は隠密を使って幕府役人の素行を調べた。この報告書は「よしの册子」として残されているとのことである。その報告書に大番勤務のある旗本は人形浄瑠璃の人形をつかうのが趣味で,宴会で桃色の裃を着けて余興に出演したことが見つかって大番勤務を免職されたことが書いてあると言う。武士は武術と朱子学の勉強に励むよう求めたのである。

 また,田沼が野放図にしていた大奥の予算を大巾に削減し,自由なお金をほとんど使えない位にした。金貨は金の含有量を元の含有量に戻し,田沼時代の金貨は金の含有量割合で減価するようにしたので,金貨が減少し金融引締になった。
 一方,幕臣が天明4年(1784)以前に借りた借金は全て棒引きにするという棄捐令を発布したので,金貸し達は大恐慌を来した。

 このようにして定信は幕府役人の綱紀を引き締め幕府財政の安定に力を尽した。
 しかし,旗本,御家人達は何石取りという米本位の報酬なので,米が増産され米価が下がると通貨換算の収入が減少した。
 また,田沼時代に華やかであった江戸の街は,芝居小屋も花街も,そして街全体が火の消えたような寂しい街になってしまった。京大阪から江戸へ送る呉服等贅沢品の量も激減し京大阪の商人達も不況になった。

 松平定信は清廉潔白な立派な方である。しかし頭が固く米さえ増産されれば世の中が豊かになると単純に考え,すでに米本位の経済から貨幣経済になっていることへの認識が欠除していたように思う。幕府財政の立て直しと幕府役人の綱紀粛正を急ぐことだけを考え,定信の政策が社会経済生活へどのような影響を与えるかへの配慮が欠けていたのである。

 「世の中に蚊ほどうるさきものはなし,ブンブ,ブンブ(文武,文武)と夜も眠れず」というような落首が詠まれ,「白河のあまり清きに住みかねて,濁れる元の田沼恋しき」という落首が幕臣や江戸の庶民の世論になって,定信は老中を退かざるを得なくなった。
 世間の人々は自分達の生活に潤いを与えてくれる政治,政策を求める。生活が引き締められ,精神教育ばかり押しつけられたのでは生きる楽しみが無くなってしまうのである。

 田沼意次と松平定信,対象的な2人の経済社会政策をみて,私達が今日直面している経済社会をとりまく諸問題の難しさを考えざるを得ない。
 私達庶民は政府や日銀の政策に直接物申すことはできないが,彼等の進める政策が私共の,そして私自身にどのような影響を及ぼすかについて注意深く見守り対処していかねばなるまい。

 幸い実体経済は現状では輸出と設備投資に支えられて順調のようであるが,輸出にも若干の陰りがみられている。(輸出の70%強は東南アジアと中国向け)設備投資もこの3ヶ月は足踏み状態である。そして国内総支出の50%強を占める個人消費は本年1?6月は前年同期比マイナスになっている。スーパーもコンビニも売上が減少し,乗用車の売上は7%も減っている。人々は社会保険料のアップ,政策減税の廃止等により可処分所得が減り,そして将来の生活への不安もあって財布の紐が固いのである。このような時に消費税を上げれば駆け込み需要一巡後は消費支出が大巾に減ってしまうので,今は消費税を上げることはできない。このことは政府も承知しているようである。
 公定歩合の引上げも現状見送られている。公定歩合を上げると設備投資に水をさすことになる。(設備投資に要する資金調達の金利が上がるため)。
 財政再建は必要である。しかし松平定信の失敗を繰返してはならない。
 消費税率のアップ,公定歩合の引き上げは必要であるが,そのタイミングは非常に難しい。それには個人消費の回復が必要なのではあるまいか。国際競争力を高めるための企業減税はかなり進められた。しかし個人は可処分所得が減っているのに,今の処,何の対策もとられていない。経済回復の最大課題は個人消費をどのように回復させるかではなかろうか。政府の有効な対策を期待している次第である。

(H. 19. 8. 4記)



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