東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其の\

愛三木材(株) 名倉 敬世


 本日は八月壱日にて候。即ち八朔でご猿。八朔とは何ぞや?、と申せば徳川家康が天下取りに成功し初めて江戸城に入城した日の事でご猿。因って江戸時代には幕府にとっては、特に重要な祝日で各大名家が威儀を正して続々と登城し、祝言を申し述べた日でござった。但し当時は陰暦なので現在とは約一ヶ月と四日程違いが生じるので翌月の五日の事でご猿。尚、陰暦の一日は朔(サク)と申すが、「朔」の字の偏は「逆」の元の字で月が一周をして元に戻った事の意味でご猿。その為に「八月朔日」は略されて「八朔」と記す事になった。又、これ等は苗字としてはどう読むかと云えば、「穂積」と読むのが正解と云う事でご猿。尤も八朔はハッサクとも読むが、これは現在でも早取りで出回る柑橘類の名前でもある。変った読み名の由来は八月一日が古来「田実の節句」と云い、稲の初穂を刈り取って神に捧げる日で代々祝日にしていた。これらの全てを仕切っていた人が「穂積」さんと言って名前の由来ともなった次第でご猿。
 月日の入った苗字では、「四月一日」や「十二月一日」等が有るが、前者は「エイプリルフール」では無く、衣替えから来ていて「綿貫」となり、後者はシワスダ「師走」さんと云う。この中では八月一日の穂積さんが一番古く格式も一段と高い家柄との事でご猿。
 鈴木さんも全国の名字のベストテンに入るが、元々は紀州が「本願の地」との事である。やはり「初穂」を積み上げて、中心に「聖なる木(スズキ)」を立て稲の神(雷)を呼んで、稲に神の力を取込んで豊作祈願をする」。稲光・稲妻・稲魂、これ等の出所も同じであり、これ等の行事を取り仕切る人を鈴木さんと呼んだ。この様な次第で鈴木さんは農事万端の指導からあらゆる諸々の相談まで地域に根を張りながら日本の各地に伝播をして行った。現在、苗字の多いのは、@佐藤 A鈴木 B高橋 C田中 D渡辺の順で、鈴木は100人中で13人が居るとの事、元来「スズ」はスズクと云う清らかさに関係した古代の日本語です。我国では朝廷が「姓」制度を造ったが、中国では姓は元来「女系家族」を意味しており、血縁関係を示しています。我国にも「氏より育ち」と言う言葉が以前には有りましたが、 今は完全に死語となって意味が通じ無くなっています。
 日本も古くは氏は血族の証として最も尊重されるべきものでしたが、今では源平籐橘と言っても「何の事だ」と云われてしまい意味が通じません。正に中身が空洞の尾張名古屋の「金の鯱」で御座る。
尚、我国に戸籍法が出来たのは明治初年でそれ以降は全国民に「苗字と名前」をセットで届けねばイカンとなり「氏名」が付いた。但し、戸籍に表示された「華族」「士族」「平民」等の記載は終戦後の昭和22年(1947)に撤廃された。

平成25年8月5日 記
金板張の木造鯱(名古屋城大天守)
出所:http://ja.wikipedia.org/wiki/

 名古屋城の金鯱は頭部が異様に大きく、近くで見るとバランスがよくないように思えるが、これは遠くから眺めた時に均整がとれ立派に見えるように配慮されているためです。当時の名工が、棟上に飾る彫刻物として、遠望からの姿を配慮して作ったと考えられている。


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