東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其の13

花 筏


〜木場歳時記〜

其の二 正月飾り

 今年も、正月を飾った。別段それ程、深い意味は無いのだが、一つには、常々お世話に成っている商品の「木材」に対し、正月ぐらい「晴着」を着てもらいたい、という感謝の気持ちと、もう一つは、カッコー良く言えば「木材の文化の伝承」、即ち木場の材木問屋の「晴」の儀式の「覚え」として、と言いたいとこだが、本音は「社員のヤル気と生き甲斐とオヤジ(オーナー・旦那)の趣味と道楽のゴッタ煮」の現れ、というところであろうか。
 本来は「一夜飾り」となる大晦日の飾り付けを嫌い、前日の晦日の30日に行うのが正しい飾り付けなれど、昨今は営業の最終日となる29日の午後より取掛かる事が多い。毎年、其の手順は大体決まっているので段取り等は大変に早いのだが、今年は先輩が新人に念入りに教えながらであったので少々時間が掛った。先ず店の周囲に桧の三・五の天竜産の脂の乗った赤身の土台を廻し、その上に秋田のヌキの白太採りの役物(無節)を約三百束ほど並べる。丁度そのヌキの首の位置に蝶ネクタイの感じで「飾り」を取付ける。その飾りとは、一番上に正絹の紅白の水引を一連流し、下に本イ草の注連縄を一連結び、中央には和紙造りの舞扇を据え、その真中は深紅の大丸で、内に黄金の「寿」が燦然と輝き、下に二刀三下がりの四手(クマデ)を配す、という大変に手の込んだ本格的な「物」にて、これが、数年前より暮れになると毎年秋田から送られて来る。これらを造って居る方は直接には存じ上げぬが、ここまで仕上げるにはかなり頭をヒネられたことと思い、心して有難く使わさせて頂いている。
 「飾り」全体の構成は、この上に細引きの注連縄を掛けて六尺ごとに輪飾りで止め、卸したての真新しい麻のロープで少々の地震では倒れぬ位にきつく締め、墨痕鮮やかにとはいかぬが手書きの「謹賀新年」と「謹賀新春」を二方面に張り、用意万端これにて整い、スカーッと爽やか!一件落着となる。
 「飾り」の戦後の最盛期は今を遡ること50年程前の昭和38年前後かと思われる。先の大戦で壊滅的な打撃を受けた日本も朝鮮事変を転機に戦後の混乱期より見事に立ち直り、39年には新幹線が走り、東京オリンピックも開かれ、この年GNPは早くもアメリカ、ソ連、に次いで世界で第三位となり、日本の全ての産業がバラ色に輝いていた。木材業界も活気に溢れ、朝な夕なに時の相場を追って一喜一憂し、人々の声が今よりも一オクターブも高く、顔には生気が満ち溢れていた頃である。
 当時の「飾り」は今では写真でしか見ることが出来ぬが、どの問屋も軒並みに妍(ケン)を競い綺麗綺麗に「張り付け」をしたものである。尤も飾り方も材種も別にコレといった決まりが有る訳では無いので、自然にその店のメイン商品が看板となり、ラワン屋はラワンの平割、エゾ屋はエゾのタルキ等で飾ったが、羽柄問屋では二間物は天竜の尺の八分の板割が多く、ヒゲ題目の如き独特の縄文字→結束に使う縄にて各工場の腕達者がバケツに墨を満たし、それにて一気呵成に「謹賀新年」と鮮やかに書き上げた物を使い、六尺物は秋田の官木の赤二並が定番で、それも、この時ばかりは一段と色濃く刷られ、各店の看板で目玉でも有る一流工場のマークが輝き、結束の縄も特注品で特別に育てた、実採らずの稲の海老の尻尾のようにピーンと張った切口の飾り結びは中々に良い風情を醸し出していたものであった。
 現在の様に、外材やエゾの如く1バンドル、1セットのカラー・スプレー仕立ての物はまだ無かったが、心を込めた手作りの味には独特のモク屋ダーという心意気や雰囲気が漂って居た。たぶん手で触り肩で担いで汗を流して作られていた為だったのだろう。
 「奥(自宅)」の飾り付けは代々この地を縄張りとしている出入りの鳶の頭の一統が、古式どおり晦日(30日)に来て、表門、玄関、各座敷、神棚、荒神(台所)、御不浄、 車庫&車、石燈篭の火袋の中、裏木戸とそれぞれにふさわしい、門松、飾り注連縄、輪飾り、お供え(裏白と譲り葉付き)と手際も良く飾っていきますが、床の間と仏壇は当主の領域とかで手を触れません。神棚はお屋代の中まで全て綺麗に清掃をし、ごぼう締めを取付け、お神酒と榊を上げ、燈明に灯し、火打石で切火を切り、柏手(カシワデ)の後、丁重に低頭して万事終了。ゴクローサンとなり、後はご祝儀の授受と1.8リットルを抱えて次の方の屋敷に向かいます。
 この家の主の務めである床の間の飾り付けは、生花が多少変わるぐらいで毎年大体同じ。中央に二重(フタエ)の鏡餅が白木の三方の下に奉書紙と裏白と譲り葉を敷きデーンと据わり(元々は丸くて薄い鏡状のものが鏡餅の古式で元租とか)、掛軸は横山大観の「斑富士」、左の太刀掛けの本身は「古備前助包」、屠蘇器の三重(ミカサネ)、右に赤い実を付けた南天を活けた備前焼の花器、という至ってシンプルな飾りである。
 これにて、一応、表も奥も新年に向けて家長(イエオサ)としての準備は万端整った。後は当日、若水を打って、国旗(ヒノマル)を門の左(これが正式らしい)に掲揚するばかりにて候。
 但し、その前に大晦日があるわいなー。(つづく)

 
 

前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2014