東京木材問屋協同組合


文苑 随想
見たり,聞いたり,探ったり No.192

〜歴史探訪 一人旅〜
「琴奨菊」初優勝の意義と日本国技・大相撲の歴史
青木行雄

 琴奨菊が豪英道を破った瞬間、拍手と大歓声が両国国技館に響き渡り、長く感動は続いたが座布団投げは起こらなかった。
 大関・琴奨菊(31才)が初の賜杯を手にした時は目に涙を浮かべていた観衆がかなり見られたようである。
 いつもなら取組の最後が終わるとすぐに立ち上がり帰る仕度をするのだが、今回は帰ろうとする人があまり見当たらなかった。それだけ期待と感動が大きかったのだろうか。

※両国国技館、日本一の相撲の殿堂である。

※玄関口の幟、ふれ太鼓の櫓。場所中にはこの幟が見られる。いかにも両国らしい。

※入場券であるが、お茶屋を通すので、お茶屋によって桝席料金は違うと言う。

※お茶屋が並んでいる。入口の様子。桝席の権利を持っていて、このお茶屋から案内されて、桝席へ通される。

 けがに苦しみ一時は引退も考えながら、ひたむきに前に出る相撲を取り続けた。日本力士の優勝は10年ぶりである。喜びと称賛。今後への期待の声が各地で盛り上がったのである。
 「よう、頑張ったなあ、感無量だよ」「言葉に表現できない程うれしいね」
 報道陣に囲まれた琴奨菊の頬が緩んだ。付き人らと視線が合うとニコニコと普通には見られない笑顔だったと言う。
 喜びを隠しきれない3兄弟の末っ子の快挙に母親の菊次美恵子さん(61才)は息子のことを次のように語った。「あの子はいつか優勝すると思っていました。ウサギとカメならカメですね」とうれしそうに話したと言う。
 相撲との出会いは小学3年の頃。今は亡き祖父の一男さんが庭に作った土俵で、すり足を繰り返し練習を重ねたらしい。
 地元の巡業に訪れた貴乃花(現貴乃花親方)のひざに乗ったことがあって、今でも大切な思い出だと言う。
 家族の勧めで相撲の強豪校(四国・高知県)明徳義塾中学、高校に進学した。
 生真面目で練習好きな琴奨菊は「遊ぶんだったら体を休めたい」と言って、力を付けていき、今の「佐渡ヶ嶽部屋」の門を叩いた。腰を相手にぶつけるように前に出る「がぶり寄り」は、今や観客を沸かせる琴奨菊の代名詞になっている。これを武器に2002年(平成14年)初場所の初土俵から約10年で大関という金看板を背負う。
 だが、昇進後はけがが重なった。両ひざ、足首、腰と続いて満足に稽古が出来ず、ぶっつけ本番も度々だったと言う。負け越せば関脇に転落のカド番は5度も経験している。13年九州場所で右大胸筋断裂の大けがを負った後は、2桁勝利は年1回がやっとだった。帰郷時の挨拶回りの時などは批判を浴び、近い同級生などには「これ以上はだめだろうな」と引退を口にしたこともあったと言う。
 左を差し、右から抱え、がぶり寄る。持ち味が蘇り、馬力もグンと上がり出したのは昨年秋頃からで、けがの回復に加え、新しいトレーナーの「塩田宗広」さん(38才)との出会いが大きかったようだ。
 「残り少ない相撲人生、一花咲かせよう」と一大決心し、それから若い頃に戻ったように稽古で倒れて動けなくなる日々を送ったと言う。そんなことから体姿も体幹も見違えるように強くなり、出足を止められても攻め切れるようになったようだ。25年ぶりとなった1場所で3日連続での横綱戦勝利はその証拠である。トレーナーは「眠っていた真の力が出始めたのだと思う。大関の馬力は世界一ですから」と話す。
 本人は「自分の相撲をやり切ったら出来るという自信がついた」と語る。
 1月30日に32歳になるが、昨夏に結婚した「祐未」さん(29才)との挙式を挙げた。
 最高の味方と共に大関昇進から27場所目の春場所で優勝し、初の横綱に挑むことになって欲しいものである。
 2016年(平成28年)初場所1月10日〜24日国技館での力士。前頭16番以上の状況を調べてみた。

※千秋楽、入場者に記念の5円玉入り袋が配られた。

※取組前の琴奨菊。相手の出方を考えているのだろうか。

※琴奨菊、取組前の一呼吸である。心境はいかに。

※豪栄道と対戦する直前の構え。見ごたえがあった。

※優勝してインタビューを受ける琴奨菊。初めてなので、言葉は詰まったが、うれしそうで満面の笑みであった。

※上位陣の顔見せで土俵に上がる力士達。14〜5人いるようだ。

 幕内力士(十両を除く)初場所
 42人中、@日本人力士が27人。Aモンゴル8人、Bジョージア2人、Cロシア1人、エジプト1人、ブルガリア1人、ブラジル1人、中国1人で外国人合計15人いた。
 場所中休場した力士4人で中休みした力士も2人いた。横綱力士3人は全部モンゴル人で、白鵬、日馬富士、鶴竜の御三方である。
 今初場所の力士の人数は、横綱3人、大関4人、関脇が2人、小結2人、前頭31人の計42人であった。

 2006年春場所以降の優勝力士と回数。
 白鵬(モンゴル)35回、朝青龍(モンゴル)10回、
 日馬富士(モンゴル)10回、鶴竜(モンゴル)2回、
 琴欧州(ブルガリア)1回、把瑠都(エストニア)1回、
 旭天鵬(モンゴル)1回、照ノ富士(モンゴル)1回、
 琴奨菊(日本)1回(今回)

 上記のように平成28年1月千秋楽の24日大関の琴奨菊(本名・菊次一弘、福岡県出身、佐渡ヶ嶽部屋)が豪栄道を突き落として破り、14勝1敗で初優勝を飾った。日本出身力士の優勝は2006年(平成18年)初場所の大関栃東以来、10年ぶりで新入幕から66場所での優勝は86場所の旭天鵬に次いで歴代2位の遅い記録であったと言う。2002年初場所の初土俵から14年をかけて念願の賜杯を手にしたのである。

※取組が終わり、観客全総立ちで「君が代」の合唱である。

※内閣総理大臣賞を貰う。琴奨菊本人が初めて貰う賜杯に感動した事だろう。

※次から次へと賞とカップが出て来る。数はわからないが20〜30賞あるようだ。

※外国の国からもカップが目白押し。

 日本出身力士が優勝から遠ざかった10年は朝青龍と白鵬という、モンゴル出身の二横綱が君臨した時代が続いたのである。
 栃東が優勝した翌場所から10年、初場所後に朝青龍が引退するまで、2人で24場所中22場所を制した。その後は白鵬が15場所にわたって1人横綱で踏ん張って来たのである。続いて日馬富士や鶴竜が出て来て、今は前記のように外国出身は幕内の42人中15人が占め、日本の角界を背負う存在になっているのである。

 日本の国技であるこの相撲界を外国人が上位を占めて、情けないと思う心もある一方、国技の角界を横綱に君臨するモンゴルの面々が守り続けてくれると思えば感謝である。
 八角理事長も「どこの出身であろうとも、外国人であろうと頑張った者が優勝する」
 そして「この10年は外国出身力士が頑張ってくれた。強い横綱が居るからこそ、場所の盛り上がりがあるのだが、今回の琴奨菊の優勝は価値がある」とも言って称賛したそうだ。

 日本の伝統文化である相撲の歴史をちょっと考えてみる。
 相撲は人間の闘争本能の発露である力比べや取っ組み合いから発生した伝統あるスポーツなのである。
 我が国の相撲の起源としては古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力比べの神話や、天覧勝負の伝説が挙げられるようだ。
 相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として毎年行われ、これが後に宮廷の行事となり、300年以上続くこととなった。
 鎌倉時代から戦国時代にかけては武士の時代、武士の戦闘の訓練として盛んに相撲が行われた。織田信長は深く相撲を愛好し、1570年〜92年(元亀・天正年間)に近江の安土城などで各地から力士を集めて上覧相撲を催し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えたと言う。
 江戸時代に入ると浪人や力自慢の者の中から、相撲を職業とする人たちが現れ、全国で勧進相撲が行われるようになり、江戸時代中期には定期的に相撲が興行されるようになっていった。
 やがて谷風、小野川、雷電の3大強豪力士が出現し、将軍上覧相撲も行われ相撲の人気は急速に高まり、今日の大相撲の基礎が確立されるに至った。
 相撲は歌舞伎と並んで一般庶民の娯楽として大きな要素をなすようになったのである。
 大相撲は、長い歴史の中で次第にルール化され、洗練され、様式化されてスポーツとしての形態を整え、我が国固有の伝統文化となったのである。
 土俵入り、番付表、化粧廻し、髷、着物、取組、江戸時代から時が止まっているかのように、長い歴史と伝統を今でも生で感じられる大相撲なのである。
 1500年以上続く歴史を国技館で見られる幸を感じたいものだ。
 平成28年1月24日千秋楽が終わり、生で見た感動が続いていた早朝、『朝日新聞』の朝刊、「天声人語」を見ると、的確に昨夜の相撲の事が書かれていた。実に明快に単文にまとめていたので記して終りにしたい。

 天声人語『朝日新聞』(2016年1月25日)
 寒いときには火が恋しい。北原白秋の「ペチカ」などは、口ずさむだけでも暖まる心地がする。♪雪のふる夜はたのしいペチカ。ペチカ燃えろよ。おもては寒い……。白秋の故郷、福岡県柳川市の人たちは昨夕、寒波に舞う雪のなかで、ペチカならぬテレビを前に熱くなったことだろう▼大相撲千秋楽の焦点は、10年ぶりの日本出身力士の優勝だった。快進撃の琴奨菊は柳川の出身。昔から「江戸の大関より土地の三段目」といわれ、郷土力士の活躍はファンの楽しみだ。地元の大関の大一番に熱のこもらぬはずはない▼この人の立ち合い前の所作は独特で、弓張り月のように巨体を反らせ、大量の塩を豪快に投げ上げる。火の出るような当たりで一気に寄るか、転がされるか。竹を割ったように勝ち、あるいは負ける印象がある▼初の賜杯をかけた一番も、当たって押し込み、豪栄道を突き落としで土俵に転がした。角界最強といわれる立ち合い。持ち味を生かした見事な勝ちっぷりだった▼大関昇進後はけがに泣き、横綱勢の引き立て役の観もあった。去年の初場所はカド番で迎えて9勝6敗。1年後の快挙を想像した相撲好きはどれほどいただろう。だが相撲の神様は、黙々と稽古を積んできた31歳に大きな花を用意していた▼〈やはらかに人分けゆくや勝角力〉高井几董。鬼の形相の土俵から一歩出れば、春風駘蕩の空気を身にまとわせる。初めての優勝インタビューの笑顔がよかった。ペチカの代わりに、暖まらせてもらった。

実に心地良い文面であった。

『帝都大震災の惨状 両国国技館』
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

参考資料
  大相撲のパンフ「日本相撲協会」
 『日経新聞』2016年1月25日号
 『朝日新聞』2016年1月25日号
 『読売新聞』2016年1月25日号

平成28年1月31日 記


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