東京木材問屋協同組合


文苑 随想
「見たり、聞いたり、探ったり」 No.197

〜歴史探訪 一人旅〜
世紀の大工事 黒部ダム建設の歴史を探る
(立山黒部アルペンルート)
青木行雄

 戦後日本の復興を支える壮大なエネルギーを造るという大きな目標に向けて始まったといわれる、黒部ダム(黒四ダム)建設の完成現場を探る。


※黒部ダムの地下に石原裕次郎の記念プレートがあった。
 持てる知識と経験を生かして、延べ1,000万人の労力と7年という時間を費やして見事完成に至った現場を見学した。様々な物語が山ほどあって、とても1日や2日で探ることは出来ない。あの小説や映画『黒部の太陽』に描かれた思いを今一度思い出しながら、見て廻ったが、感慨深い現場であった。
 出来上がってからの月日と、甦るあの「石原裕次郎」主演の映画が、ミニホールで映写。ほんの一部を見たが感動だった。
 1956(昭和31)年関西電力は社運をかけて“黒四ダム”建設を行うことを決定した。その8月に資材輸送路「大町ルート」工事に着手した。大町側から大町トンネル(現在の関電トンネル)の掘削が始まったのである。

 “黒四ダム”建設において最も困難を極めたのが大町トンネルの開通だったと言う。その原因は1957(昭和32)年5月に遭遇した「破砕帯」である。わずか80mという距離が全く進めず一時は暗礁に乗り上げたと言われる。
 しかし、英知を結集し、7ヶ月もの苦闘の末、突破出来たと記されている。

 その破砕帯の説明をこんなふうに記してあった。

 「順調に進んでいた関電トンネルの掘削でしたが、大町側から約1,691mのところで破砕帯という大きな問題と突き当たりました。岩盤の中で岩が細かく割れ、軟弱な地層からは※毎秒660ℓもの水と土砂が噴出し続けたのです。しかし、持てる知識と経験により見事突破できました。その模様は、小説や映画『黒部の太陽』に描かれ今に語り伝えられています。」

 ※毎秒666ℓと言うから、ドラム缶毎秒3本分とすると、1分間にドラム缶200本分もの量になる。

 1958(昭和33)年2月、関電トンネルが開通し、工事関係者の歓喜の声が響き渡った。このシーンも映画『黒部の太陽』を思い出す感動の場面である。この5月には全面開通し、ダムでの採掘も本格化した。1959(昭和34)年2月、ダムと発電所を結ぶ黒部トンネルも開通した。同年9月、ダム本体のコンクリート打設が開始され、定礎式が行われたと言う。
 1960(昭和35)年、コンクリートの打設量1日に8,653m³という驚異的なスピードで建設は進行した。
 そして、この10月からダムの湛水工事も開始された。1962(昭和37)年8月、黒部川第四発電所3号発電機の運転が開始された。1号、2号は1961(昭和36)年に開始している。

 1963(昭和38)年6月、黒四ダム建設工事の竣工式を迎えた。
 当時の金額で513億の工費と延べ1,000万人の手により、又、171人の尊い命を犠牲に“黒四ダム”は完成したのである。
 白亜のダムを歩く関係者たちは苦難の日々を振り返りながら喜び合い、感動した事だろう。その後、黒部ダムは関西への電力供給を開始、日本経済の成長を助け続けている。

 苦労を重ねた経緯を知り、完成したダムの上を歩くと、ひとしお感動も大きいはずだ。
 2016(平成28)年6月4日、縁あって、富山県中新川郡立山町の立山駅(富山地方鉄道)からこの立山黒部アルペンルートを通り、黒部に行くことになった。普通西から東、東から西へのルートがあり、長野県側の信濃大町より行く場合もある。

 この「立山黒部アルペンルート」をまだ行った事がない方のために説明しておこう。

 立山黒部アルペンルートは、富山県中新川郡立山町の立山駅(富山地方鉄道)と長野県大町市の扇沢駅(関電トンネルトロリーバス)とを結ぶ交通路で、国際的にも大規模な山岳観光ルートであるようだ。1971(昭和46年)6月1日に全通したと言う。

 立山駅から扇澤駅までは、東西に直線距離で約25km足らずと言うが、最大高低差が1,975mもあって、ロープウェイや、ケーブルカー、トロリーバス等7回も乗り換える楽しみが待っている。そのほぼ全区間が中部山岳国立公園内にあり、飛騨山脈・立山連峰を貫き、黒部ダムなどのいくつもの景勝地を通る。本ルートは4月中頃から開通し、11月中頃に閉鎖すると言うが、年によって多少日数が違うようだ。約6ヶ月の営業である。

 最高地点は、立山登山の基点ともなる室堂で標高2,450mあり、富山県側の立山から黒部湖までの区間は山岳観光や立山登山客の便を図るために作られたと言う。黒部ダムから扇沢の区間は黒部ダム建設の資材運搬のために建設され、ダム完成後に一般の旅客に開放されたのである。

 立山黒部アルペンルートは、登山道を除けば富山県と長野県とを直接結ぶ唯一の交通路である。しかし、自然保護の観点などから運賃が高目に設定されているようで、多くの乗り物を乗り継がなければならないことから、富山・長野間の移動を主目的として用いられることは殆んどないようだ。乗客の大半は県外の観光客であり、富山空港を利用した、韓国や中国、台湾との国際線の乗り入れにより、多くの外国人観光客も目立つようになったと言う。丁度、私達の行った時も韓国、台湾の人がいて話が出来た。又、タイからのチャーター便も富山空港に到着するようになったらしい。

 昭和40年代の開通当初には一般車両を通行させる計画もあったようだが、小型乗用車12,800円普通乗用車18,900円の料金まで設定されたと言うが、交通渋滞や自然環境悪化といった問題も生じるため、とりやめたまま現在に至っているとのことであった。最近では乗用車やバスで立山黒部アルペンルートを訪問する観光客に対して、立山駅と扇沢駅の間で運送業者によるマイカー回送のサービスがあると言う。
 この観光の目玉はなんと言っても、室堂の壁雪と黒部ダムではあるが、4月から5月にかけての観光の中心は「雪の大谷」の「雪の大谷ウォーク」がすばらしい。

 1994(平成6)年に期間3日で始まり、2004(平成16)年に4月の全線開通から5月末まで、2008(平成20)年に大型連休中も開放し、2009(平成21)年に100万人、2012(平成24)年に富山―台北便の就航、2014(平成26)年に200万人を突破したと言う。室堂から麓の方へ歩いたところにあり、多い時は15m〜20mの雪の壁を目の当たりにすることが出来ると言うが、この6月5日に行った時は8m程であった。
 3月頃からGPSで位置を確認しながら、大量の重機で除雪して出来たものと言う。こんなにも高い壁が可能なのは富山が豪雪地帯の南限であり、湿気を含んだ雪の重さが2倍近くもあり、パウダースノーのようにパラパラにならない。

 「立山黒部アルペンルート」を簡単におってみる。


※JRの電車の中吊り広告で見かけた。
すばらしい所であった。
 まず、電車かバスで「立山駅」へ行く。そこから、「美女平」までケーブルカーでのぼった。標高立山駅475m→美女平977mまで7分で着いた。ここから、立山高原専用バスに乗り換え、山道を2.3km、標高977mから室堂2,450mまで、変化に富んだ大自然の道を標高差1,500mを50分で登った。この道は変化に富んで楽しめる道でもあったが、危険な道でもあるので、ハラハラもした。又、樹齢200〜300年の杉の森から低木しかない室堂まで50分はあっという間だった。

※金沢からバスで立山に着いた。アルペンルートの始まりである。

※立山駅から最初の乗り物。立山ケーブルカー。旅の始まりで、わくわくの気分であった。

※室堂について壁雪に感激である。多い時は20m以上あると言う。6月5日で8mあった。一応真夏には全部解けるらしい。

※写真は4月後半のもので、圧巻である。

 この「室堂」はやっぱり、黒四ダムと並ぶ、この観光の中心で、壁雪の「雪の大谷」―「大谷ウォーク」は圧巻であった。
 室堂から大観峰までは立山トンネルトロリーバスに乗り、3.7kmを10分、立山連峰、立山3,015mの下のトンネルを通り大観峰へ。
 この大観峰から立山ロープウェイに乗り7分、1.7kmを黒部平に降りるのだが、これ又すばらしい景観で、1.7kmの間に支柱が1本もない。景観保護のためだと言う。2,316mから1,828mの差である。
 ここから黒部ケーブルカーで5分、0.8km、日本で唯一、全線地下式であった。黒部湖に到着である。
 ここから完成したダムの上を徒歩約15分、黒部ダムの資料館を見学、黒部の真髄を知る。そして関電トンネルトロリーバス(16分、6.1km)を利用して扇沢に出たのだが、赤沢岳2,678mの山は富山県と長野県の県境になる。この地下トンネルが工事資材輸送の本番、今度の主役、世紀の大工事「黒四ダムの建設」の場所である。なんとなく通れば、普通の電気トロリーバスだが、幾多の苦労を重ねた未完成難所。80m掘るのに7ヶ月の月日がかかった困難を極めた場所と思って通れば、それなりの感動も沸いて来た。

※大観峰の駅で海抜2,316mの地点である。ここから
大パノラマのロープウェイの乗車場所である。

※立山ロープウェイ。1.7km支柱が1本もない。
すごい景観だ。定員800人らしいが、1970(昭和45)年に開業したそうだ。

※ロープウェイ黒部平の駅。海抜1,828m。
大観峰との高差、約500mある。

※黒部ケーブルカーで全部トンネルの中、
日本で唯一の全線地下式、黒部平到着のホーム。

※黒部ダム。今年は雪が少ないらしく、雪解けの水が少ない。

※黒部ダムで散策する人々。のんびりした風景である。

※黒部ダム地下トンネル。ここが『黒部の太陽』に
出て来るトンネルで喜怒哀楽の現場である。

※黒部ダムの記念館の中にモデルの作業員人形があった。

※電気で走る関電トンネルトロリーバス。
日本ではこのアルペンルートのみ運行する。

※東のアルペンルートの終点、信濃大町駅である。
東からはここが始発となる場所。

 扇沢から路線バスを利用し大町に出て、「THE・END」になるのだが、わずか6〜7時間の間に立山黒部アルペンルートだけで7回の乗り物に乗り換え、次から次へ変化に富んだ景色と感動は写真や文面では説明は出来ない。まだ行っていない方は「百聞は一見にしかず」行かれる事をお勧めする。

資料
立山黒部アルペンルートパンフ
黒部ダムパンフ
『日本史年表』岩波書店

平成28年7月3日記


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