東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(119)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 2015年は間もなく暮れようとしております。
 9月に東海道ネットワークの例会が静岡で実施され、イベントが開催されている駿府城と浅間神社等を散策して参りました。家康が残した事績は、没後400年を経た今日でも、益々輝きを増しておりますが、我が東海道ネットワークの会は、平成4年(1992)発足後23年にして、存続が危ぶまれております。幹事の杉井さんから記念写真が送られて来ましたが、次回例会の案を募る旨のコメントがありました。「金谷駅からSLに乗り、大井川鉄道を遡り、鄙びた温泉に浸かる旅は如何でしょうか。」と返事を出した処、「素晴らしい案ですが、東海道沿道に拘る輩が多くて実現は難しいのでは?」とのことでありました。
 東海道ネットワークの会は私の人生観を変えてくれた仲間達ですから、これからも極力大切にし、是非存続してほしいと念じております。
 10月31日は、100年以上の伝統を誇る東京農業大学の収穫祭に行って参りました。天候不順にも拘わらず、開始前から長蛇の列があり、先着200名様に限り、農場で採れた大根をプレゼントしておりました。本館では、65室で、コンサート、茶会、虫の展示、野鳥の生態、学生の研究成果の発表など、盛り沢山のイベントが催されており、出入口でスタンプを捺して貰うと、10コ、20コで景品がもらえる仕組みになっております。私は午後から次の用事があって出掛けましたが、妻と10歳の孫娘は1日頑張って全65室を踏破し、醸造科の学生が造った美味しいお味噌をゲットして帰って来ました。
 同日、発足15年になる、ら・ろんどの会のコンサートがありました。「これからの人生のキャンバスを豊かに彩るグループ」と云うコンセプトで20名程の仲間が集いましたが、数年前、会報の編集、企画等で献身的に尽くしてくださった根村さんの急逝があり、中断しておりましたが、主要メンバーの努力によって見事に蘇りました。2010年5月に、荻窪の館で、箏(琴)尺八のコンサートがありました。演奏を予定していた英井麻美さんがご懐妊の為出られなくなり、急遽代役の「てみ」(大平光美)さんが素晴らしい演奏をして下さいました。今回は子育てに専念されていた英井さんが5年経って復帰され、場所も英井さんの義父の計らいで、伝通院の本堂に200名の聴衆を集めて開催されました。地下鉄後楽園駅から春日通りの坂を上ること10分、途中町名の由来となった春日局の立像があり、三代将軍家光の乳母から大奥に入って活躍した当時から400年後の変わりようを眺めて居ります。
 伝通院は徳川家の菩提寺で、家康の生母や、千姫の墓もあります。幕間にお詣りして、貴人たちの数奇な生涯を偲びました。伝通院は新しく建て替えられてから20年余り経ちますが、柱、梁を台湾に求め、某スーパーゼネコン肝入りの作品だけあって、太い柱、長い梁はよく磨かれて光り、香りが漂って来るようであります。
 曲目は、前半、和装 春の海(宮城道雄)六段の調べ(八橋検校)他、後半、洋装 ジュピター(G. ホルスト)他。モーツァルト作交響曲ジュピターは「神の中の神」の意ですがG. ホルストのジュピターは(木星)の意でしょうか。洋楽の曲はよく耳にしますが、琴と尺八のコラボレーションは初めて聴く音色で素晴らしい。相方の尺八は、館の時と同じ西城薫子さんでした。男が吹く力強さはないものの、物悲しい音色が琴と巧みに合い和し、満員の聴衆を魅了しました。
 前半の艶やかな和装(尺八奏者は凛々しい羽織袴)から、後半は2人とも清楚な黒い洋装で登場し、あまりの変り様に、聴衆一同から驚きと嘆息の声が漏れました。終演後、5年前はお腹に居た長男が5才になり、可愛い和服姿で母親に花束を贈呈し幕となりました。その後地下の別室で簡単なパーティがあり、多田会長からご挨拶がありました。会長は、駅からの坂道は流石に車を呼んで来られましたが、感性は些かも衰えを見せず、ご両親が邦楽を教えている音の中で育ち、和洋を問わず造詣が深く、充実した人生を振り返り噛みしめるような含蓄あるご挨拶でありました。ら・ろんどの会では、多田会長とコンサートの司会をされた歌姫名和千枝子さん、それに亡くなった根村さんの3人が重鎮でありました。これからは新たに2名の監事が加わり脇を固め、新進気鋭の法律家と才色兼備の夫人が中心になって存続して行くことでしょう。
 11月5〜7日、沖縄視察会に参加しました。
 前月号で述べましたので詳細は割愛しますが、復帰後43年、地上戦で4分の1の県民を失い、米軍による統治時代を乗り越えて、県民一丸となって復興、発展に邁進し、日本一の出生率1.8人を実現しているパワーに肖り、当有明、湾岸地域のまちづくりが成功致しますよう祈る次第であります。
 11月20日、亀戸のアンフェリシオンで第22回江東稲門会がありました。第1回はティアラ江東(元江東公会堂)で開かれ、前区長の故室橋さんもご健在で都議を勤めておられました。
 現区長山浮ウんが区議会に打って出る直前でありました。その後中断がありましたが、当夜が第22回目でありました。アンフェリシオン(元平安閣)の社長は現会長の小泉宗孝氏です。乾杯の音頭をとられたのは、S31ロシア文学部卒の名物女性伊藤哲子氏です。
 当夜の特別企画 JAZZ NIGHT IN KOTO は、現役学生のハイ・ソサエティ・オーケストラと人生経験豊かなOBのリユニオン・オーケストラの競演です。毎年好評で今夜で7年連続になります。現役学生の力強い演奏に、平均65才のOBも負けては居りません。圧巻は、元SKD5名によるリユニオン、ミーツ レビューが登場し、ピチピチギャルの乱舞が始まると、OBオーケストラは発奮して会場のムードは最高潮に達しました。かつて10年以上前、深川の本祭りがありましたが、お神輿の先導を手古舞と云って芸者衆が勤める習わしがありました。当時も辰巳芸者は高齢化して人数も減りお祭りには登場しないと思われていました。私は車を駐めようとして路地に入っていきますと、公園の脇に大きなバスが駐まっており、SKD(松竹歌劇団)で設えた旨、バスに明示されておりました。SKDの面々が芸者衆に変装して出てきたことが判明しました。このように伝統あるSKDの流れを汲む若い踊り子達にOB達も触発されて、会場も一体となって盛り上がり、競演は成功裡に終演しました。神宮球場で大学野球選手権があり、亜細亜大学に決勝で負けた為に、若し勝っていたら祝勝会等で来ることが出来なかった筈の応援団が負けた為に来てくれて、現役のオーケストラの伴奏で校歌斉唱をリードし幕となりました。
 木枯らしが吹くと暦は師走となります。
 12月15〜16日は、天正6年(1578)から400年以上続いているボロ市が世田谷で開催されます。ボロ市は世田谷冬の風物詩と云われ、来年も1月15〜16日に開催されます。
 来年は一体どんな年になることでしょうか。

 

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