東京木材問屋協同組合


文苑 随想


「歴史探訪」PartU−B

江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎

 来る10月4日「東海道ネットワークの会21」第52回例会があります。今回は唯一散策していない宿場、江尻宿の探訪です。
 私も萱原画伯と歩いた経験の中でも江尻宿には寄った記憶がありません。しかし、ネットワークの会の紹介で、清水まちおこしのイベントがあり、参加した記憶が蘇って参りました。江尻宿の次の宿場は府中宿で、駿府城があり、家康が統治していたこともある。今は、静岡県庁がありますが、江戸時代から栄えておりました。今回は、江尻宿周辺について探訪します。まちおこしイベントでは、まちの古老が清水のアイデンティティは、清水次郎長しかいない、と云って嘆いておられました。
 『旅行けば駿河の国に茶の香り』 これは広沢虎造の名調子で一世を風靡しました。
 後にディックミネが唄った『旅姿3人男』はヒットしましたが、次郎長は今で云えばアウトローの人であり米国のトランプのような存在でありました。古老氏は清水市をイメージアップすることに心を砕いておられました。
 三保の松原がユネスコの世界文化遺産に指定される前に清水市は静岡市に併合され静岡市清水区になりました。
 私が20年前、東海道中を始め、原宿から画伯と初めて泊まり、翌日、吉原宿を過ぎて、富士川の流れに足を漬けて憩み、その日の行程を終えました。次回、私は単独でJR富士川駅から歩き始め、蒲原、由井を経て興津宿で法事を済ませて来た画伯と夕刻合流しました。
 途中、薩?峠の絶景に感動し、宿を探すのに四苦八苦して10軒以上尋ね歩いて漸く適当な宿を見付けたときは夕刻が迫っておりました。
 翌日、清見寺まで同道し、画伯は薩た峠へ向かって絶景をスケッチし、後日色付けして、共同出版した旅日記の表紙を飾りました。
 清見寺は東海道を代表する名刹の一つです。
 天武天皇の時代に、東北の蝦夷に備えて清見ヶ関が設置されたときの関所の守り堂として建てられたのが始まりです。寺は鎌倉時代の建長年間(1249年−1256年)関聖上人が開山、後に足利尊氏、太原雪斎らによって再興されました。文学者で思想家、高山樗牛や放浪画家山下清氏が寄って残した感想文の抜粋が立札に記されております。もっと遡れば、周辺は大和武尊が東征の際の足跡が草薙、焼津という地名として残っております。
 10月30日の例会では、山岡鉄舟ゆかりの鉄舟寺、坐漁荘(西園寺公望(1849年−1940年)の別荘)、水口屋等を訪ねる予定であります。

江尻 三保遠望

清水港にて

由井 薩た嶺

薩た峠

清見寺にて

清見寺より興津の海を望む


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