子供のころ父親から「お前は、富岡橋の橋の袂で泣いていて、かわいそうだから うちの子にしてやった」などと言われてきたが、うちだけではなく、大体みんな川筋が違うが、そんなことを言われてきたらしい
桃太郎、モーゼ など川で子供を拾うのが、立派な子供になるとかだったのだろうか?今の時代そんなことを子供に言ったら「川ハラ」ですよ、若いお父さん気を付けて!
川も埋め立てられ、橋も廃橋になるこの時代、それが少子化の原因なのではないのか?と思ってしまう今日この頃
自分が拾われた川がどうなっっているのか知りたい人のために 水の都_木場の名残 というブログを、東京木材問屋組合120周年,新木場移転50周年にかこつけて書いてみるテスト
材木屋しかわからないフローPDFをFlipbookで表示化させてみたが、文字リンクしか効いていないので、PDFをダウンロードして(QR付きver)からなら、画像リンクが効くのでお試しあれ
(260807立秋ver)
※参考 [内部河川一覧図](加筆してあります)
堀割だけに流れ図(フロー図)を作ったが、一般の人にはわかりにくいということで、
本ブログサイトでは、地域別にカテゴリーを分けてある
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徳川幕府の御木蔵は、明治に皇室御用材の貯木場、戦後国有(農林省林野庁)貯木場と名を変えて移転していった、
江戸市中の材木町は、都市開発・水路開発・防災計画により 麹町材木町,京橋本材木町,神田佐久間町などから明暦の大火で深川に移転させられた(元木場)、さらに木場の開発が進み深川から木場に移転させられる、(最後?)戦後木場から新木場に移転となりほぼ50年
このブログは 東京木材協同組合,広報委員会のメンバーなどが、世代間ギャップを埋めるため、現状の写真を撮影、文章,記事を書いていって、木材よもやま話(https://www.mokuzai-tonya.jp/blog/) から4件を移植、他に約70件の記事を纏めたものです
古い写真は、下記2冊などから
「木場」東京木材問屋同業組合
昭和17年(1942)12月30日発行
木場の成立から、明治,大正,昭和16年木材統制法、問屋同業組合解散までの記録
「木場」東京木材問屋同業組合 昭和17年を踏まえ、新木場移転前までの、木場の記録が
「深川 木場」林材新聞社発行 昭和50年4月16日
なを、今は亡き八重洲ブックセンターの古地図フェアで買い集めた古地図はすべてどっかに行ってしまったので、
この2冊と現在の画像を 航空写真 [地理院地図Vector (試験公開)]、古地図 [国際日本文化研究センター] などで補完しております 印刷配布禁止
・利根川は、江戸湾に江戸川などを経由して流れていたのを徳川幕府が銚子から太平洋に流れる鬼怒川に切り替えた(利根川東遷)、利根川水系が葛飾
・(埼玉県内)荒川はさいたま市の東を流れて利根川に合流していたのを、徳川幕府がさいたま市の西側の川に流すように切り替えた(荒川西遷)元荒川水系が足立(さいたま市のほとんど)
・荒川と隅田川を分けるため明治43年(1910)荒川放水路を計画、昭和5年(1930)に中川を分断1300世帯の立ち退きの末、完成 現在荒川を名乗っている
荒川放水路通水100周年記念事業実行委員に江東区長もいるので、知らないとは言わせない
== 聞いたことのない用語 ==
“イカ耳” これは、橋の架け替え用地 地目は道路
公園,遊歩道の入り口、町会神輿防災倉庫などに許可を得て使っている
廃橋になってもイカ耳は公園などとして残っていることが多い、橋の痕跡として勝手に命名
“地先” 区画整理,埋め立て造成 など住居表示が定まっていない場合に使われる ‘若洲地先’とか
仮使用中の住所として使われる行政用語 (「ちさき」と呼んでいたが「じさき」らしい)

歴代広報委員のだれか

