地理院地図 Vector 1974~78|国土地理院 (12,14,15号地)
12号地:辰巳3丁目
14号地:夢の島, 新木場,
15号地:若洲
水面貯木場(夢の島貯木場、曙運河貯木場、12号地貯木場、新木場第一,第二貯木場 )には丸太が貯木されている
道路だけできた状態で、新木場には 製材品が置かれたり、建物もポツポツ建っているだけ
若洲(一部 新夢の島)に至っては埋め立てが終わっていない
1,2を争う速さで倉庫を作った組合の竣工写真
昭和50年(1975)3月31日
昭和50年発行 深川木場より
新木場には三つの橋がかけられている。千石橋、東千石橋、南千石橋 である。
「千石橋」の由来については特別に意味があるわけではない。
都港湾局がつくる橋の名前は職員から募集して決めており、新木場の橋も職員から募集した中にたまたま「千石橋」という名前があり、新木場にふさわしい橋の名前ということで命名したもの。
千石橋南詰から北東を望む(昭和49年9月25日撮影)
河岸の草むらはスタジオコーストがあったところ
東千石橋から西を望む(昭和49年7月30日撮影)
前方右側の歩道に面した建物(すごく先)は、東京都下水道局十四号地その三地区ポンプ所
その先にはGSニューキバサービスがあった
東千石橋から東方を望む(昭和49年7月25日撮影)
右前方の小高い丘は十五号埋立地
ココは、この先まで東京木材問屋協同組合4班の巣窟
新木場木材まつり
昭和51年(1976)10月 新木場の発足を祝い
新木場商工主催で新木場木材まつり(展即)が新木場各地で行われた
前出の航空写真より一年半で倉庫に木材を搬入したということになる
この年、材商,新東京 30周年、原木 25周年、木場製材は発足から15年

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新木場貯木場(江東区)1984年3月
新木場移転に先立ち材木屋への割り当てが、組合単位で製材500坪,問屋100坪(1事業所当たり)だった
分譲が組合単位だったので、木場(新木場に人間は旧木場と言わない)の町会単位(問屋の場合)で10事業所集めて1000坪の土地を払下げ(買戻し特約付きで)、それを組合が分譲するスタイルで新木場に移転してきた
護岸から5mは建物を建てられない部分も(貯木場の護岸はすべて)
新木場への移転は昭和48年(1973)から、635社の移転完了は昭和56年(1981)と、20年かかった
新木場は、14号地新木場1~3丁目,辰巳3丁目 の事を指すことが多い(食品系組合,ヘリポートは新木場4丁目)
行政区分として、江東区は旧深川区,旧城東区が合併してできた区なのだが
元の二つの区の境界が、横十間川,及び直線で南の道路,曙運河のラインなので、
辰巳は城東消防,郵便、新木場は深川消防,郵便となっている
(警察も、湾岸警察署ができるまでは別々)
= 木材会館 =
新木場木材会館は平成21年(2009)7月 深川から新木場に移転
「木材の需要拡大と魅力を発信する広告塔として、東京木材問屋協同組合により「木のまち新木場」に建設されたオフィスビルです。」
12号地貯木場
新木場公園から新曙橋
12号地貯木場は、現在バージクレーンの船溜まりとなっている
某所から、ゲートブリッジ
海の森(中央防波堤)には”ちんまいちゃん”だまりが(沈埋函 ケーソン)
15号地 若洲
地理院地図 Vector 1979~83|国土地理院 (15号地)
最終処分場跡は、必ず公園になっている(若洲ゴルフリンクス)
東京木材埠頭(株)は、昭和48年(1973)設立、翌年保税許可取得、第一船入港している
当初住所は15号地地先と地名が定まっていなかった
東京港木材事業(協)は材木屋の出資により昭和37年(1962)設立、15号地に東京都の土地を借り上げ、内貨木材倉庫として運用開始
建材埠頭は、13号地台場のレインボーブリッジ建設のため、平成元年(1989)15号地 若洲建材埠頭に移転した
= 砂町南運河 =
新木場と若洲に架かる橋は、最終処分場 新夢の島の運用が終わり
(1965~74)清掃局専用橋も撤去され、
若洲橋のみとなっている(14号地最終処分場 夢の島の運用は、1957~67)
若洲橋より砂町南運河、
東方は荒川放水路、ヨット訓練所と若洲海浜公園北端展望台
左岸は建材埠頭,
右岸は新木場
旧若洲橋痕跡
2020に架け替え、架け替え前はゲートブリッジもなく、橋の欄干につぶした空き缶を竿掛けにしている釣り人が平日から来ていたが、今や全く姿を現さなくなった
1,2を争う速さで倉庫を作った組合緑地より旧若洲橋 昭和51年(1976)撮影
もしかして歩道がまだなかった?
この先若洲地先(昭和51年(1976)東京木材埠頭倉庫営業開始)
新木場と若洲の間が、砂町南運河
たまに漁船がやってきて漁をしているが、運河は(釣りを含め)禁止のはず
新夢の島は海面処理場だったので、浚渫により処理容量を稼いだ、その浚渫残土で14号地新木場を埋め立てた
よって場所によっては軽い砂が堆積、2011の地震では液状化が発生した場所も
砂町南運河東端から荒川河口橋

ゆりか





















