富岡橋から 油堀北河岸 深川一丁目 にむかうと「木材会館」があった
木材会館 (三代目) 戦後の木場材界のシンボルとして昭和23年(1948)に都内木材業者の出資によって建設、翌24年(1949)に東京木材問屋協組が買収。しかしこの会館も昭和49年(1974)5月に取り壊し、昭和50年(1975)完成をめざして建て替えられる
そして 四代目 木材会館 竣工
平成21年(2009)7月 新木場に移転、五代目 木材会館竣工(令和5年(2023)撮影)

昭和50年7月10日4代目の 木材会館石碑は、時の総理大臣、三木武夫氏揮毫
平成21年7月5日新木場木材会館の礎石碑の上に移設されている
一応、初代木材会館(東京木材問屋同業組合事務所)
ひょっとして二代目?
正面玄關上の「東京木材問屋同業組合事務所」の大文字は、當時代議員たりし木村登吉郎氏の揮毫になつたものである。
以下 東京木材問屋同業組合沿革より
はじめ高橋付近に事務所を構えていた(ここが 零代目?)、明治34年(1901)深川区大工町27番地 に事務所を開く( 初代?)
明治四十年一月調査東京市深川區全圖 (1907) より、大工町、27番地
大工町は、東,仲,裏,西とあってどこだかわからないが?東大工町では?
縦の道が清澄通りなら、深川区役所の位置はあっているので、(霊巌寺が広く、本堂の位置が西に寄っている?)
深川区役所は、現深川江戸資料館なので江東区白河2丁目か?(推定)
国際日本文化研究センター 所蔵地図 より明治四十年一月調査東京市深川區全圖
「関東大震災で被災し三好町一番地に仮事務所を設けて、大正13年末に事務所を現在の地に新築し以て今日に及べり。」とあるが、”現在の地”ってどこ?二代目の話?
“現在の地”が深川三好町なら、福富川 冨島橋らへん、現木場公園冨島橋口?
この本の奥付編集者に書かれている住所は、
深川平野町四丁目一番地
この住所は、15区時代の三好町一番地なので、
「木場」東京木材問屋同業組合に掲載されている木材会館は 二代目
大東京区分図三十五区之内深川区詳細図 昭和10年(1935)
ムラサキ枠(すべて4-1)
(戦後23区江東区になっても、昭和42年(1967)住居表示改正まで変わっていない)
木場公園冨島橋口は 木と暮しのふれあい展(木の日)が行われるイベント広場の公園入口、なんということでしょう
東京木材問屋協同組合 江戸時代年表 によると「安永 2(1773)版 分間江戸大絵図出版され、初めて深川木場の詳細記入さる 三好町附近に材木問屋会所あり」とある ▲一代目?
津山郷土博物館所蔵 分間江戸大絵図 天保15年(1844)版
初版は元禄期頃(1700?) 二代目会館の場所に材木問屋会所(地図は南上、字が読めないので)
萬延江戸図 安政6,万延元年(1860) 材木問屋会所(地図は南上、字が読めないので)
江戸安政末期でも二代目会館の場所は変わらず存在していた
※福永橋 ⁼ 大栄橋
そして深川区大工町は初代、初代? 木材会館(組合事務所) は写真がない、パス
黒亀橋から 福砂通り(現葛西橋通り)を西に向かうと 清澄通り との 深川1丁目交差点
写真は 昭和50年「深川木場」より、福砂通り
「深川木場」の発行元の林材新聞社
「林材新聞」は、大正10年(1921年)に創刊、平成26年(2014年)3月14日付けで廃刊
写真は「深川 木場」林材新聞社発行 昭和50年4月16日 より
この裏に「六方園」があった
写真は昭和31年 東京木場沿革史より
この後 お城のような建物となり、鳩小屋のようになり鳩除けネットで覆われてしまう
その後廃業
地理院地図Vector (試験公開) 淡色地図|国土地理院

八郎左衛門












