木場公園北部には、東京都現代美術館/Museum of Contemporary Art Tokyo(MOT) がある
三つ目通りからの、この長い廊下?がメインエントランス
この先 多目的広場口 から公園に入ると MOT 美術図書室への門 右手(南)に公園多目的広場(砂利敷きの広場)がある
北の冒険広場口から公園の外に出ると木場公園西側の通り正面に崎川橋、
福壽橋の通りの、木場公園徒渉池口
※徒渉池(としょうち)とはじゃぶじゃぶ池のこと、普通読めないと思うんですが・・
徒渉池口から公園に入るとじゃぶじゃぶ池、北の冒険広場
公園内を富島橋口に進むと左手にイベント広場(屋外ステージ)がある
三つ目通り冨島橋口は、
木場公園で分断された福寿橋から浄心寺を結ぶ道(福富川公園の旧永本橋の通り)が正面にあって、
冨島橋が架かっていた所から北に50mずれている
ここら辺に、材木問屋会所, 二代目 木材会館があった [ 旧木材会館 ]
富島橋口が三つ目通りからのイベント広場(屋外ステージ)の入り口
十月のとある日、イベント広場で雨の中 東京都・都木連主催「木と暮しのふれあい展」をやっていた
都木連傘下の木材団体がブースを開いて木材振興イベント、東京木材問屋組合も大きなスペースをとって参加していた
雨のステージ,雨のイベント広場(南に木場公園大橋)
なんで雨の日に・・・
現在木場公園北端 三石橋の通りが
美術館通りという名前になっている
公園開発で貯木場,廃橋になった橋の痕跡は全くない
仙台堀は 木場公園(中)
福富川は、三つ目通り,木場公園内は埋め立てられた
三つ目通りの盛り上がりが唯一の痕跡
木場公園イベント広場への入口の名前が”富島橋口”というだけ
地理院地図 Vector 1979~1983 木場の水面が埋め立てられたころ
三つ目通り冨島橋から東方を望む
右側の建物は 東京銘木協同組合
(昭和49年3月12日撮影)
福富川の切れっ端
福富川痕跡を発見
完全に川は埋め立てられているのに、水道だかガス橋が残っている
この通りに橋が架かっていた 福富橋
大横川のほうに公園内を抜けてみる
河岸道路があり、公園となっている川の跡(平野四丁目公園)
河岸側は防災・水防倉庫、町会会館になっている
この通りにも橋が架かっていた 福永橋、水門があったとか
明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907 福富川
道路,橋の場所は変わることがあるが、掘割, 本川, 支川は変わらない
河岸の橋名前はわかった、福永橋
水道橋とともにあった橋の名前はわからなかった(通りがない)
江東区史によると福永橋の位置は新しい通り、区史のほうが正しいのだろう

このまちアーカイブスより
明治42年(1909)洲崎養魚
この 明治四十年一月調査東京市深川區全圖 に”養魚場”と書かれているたたき(たたき池)が見られる
確か、浜名湖のウナギの養殖は、深川から引っ越していったと聞いたことがある(ウナギじゃなければ何を養殖していたのか?スッポン?)
養鰻場.com TOP > 養鰻場とは? > 服部倉治郎と深川
養鰻(ウナギの養殖)の歴史は明治12年(1879)、服部倉治郎が東京・深川千田新田で試みたのが最初とされています。
養鰻は、ようまん と読むらしいですよ

吉岡 すいもん



















