黒船橋北詰西に、江戸っぽい木製灯篭みたいのがある
灯台と思ったら、これは火の見櫓型町会倉庫、
蔦に覆われた奥の倉庫のほうが時代を感じさせる
灯台はこちら、深川公園 成田山別院境内にある
黒船橋 嘉永新鐫本所深川繪圖にその名がある、橋の袂に”黒船稲荷”があり、黒船橋の名の由来となっている
嘉永新鐫本所深川繪圖
安政5年(1858)
黒船稲荷
黒船稲荷の由来を見に行ったが、由来については何も書かれたものがなかった、四谷怪談の作者がここに住んでいたという看板があるのみ
(お岩さんが流れ着いたのは横十間川 岩井橋)
顔がただれているのがお岩さん、井戸で皿を数えるのがお菊さん
黒船橋の越中島橋側が、一時期 木場の角乗(きばのかくのり) の会場になっていた
昭和48年(1973)10月20日 黒船橋下流演技は(かんたん夢の手枕)
場所は多分臨海小学校らへん
地理院地図 Vector 1979年~1983年 大横川平久川まで
新木場移転中の大島川、まだまだ筏が散見される
黒船橋を石島橋から、富岡橋から石島橋(南河岸に遊歩道)幅員は狭くなっている
富岡橋と石島橋の間、南側で古石場川が接続していた、
今はポンプ場があり排水配管が護岸から出ているだけ
巴橋 木場 昭和48年の風景 木場同友会
石島橋から巴橋をみるが、この間距離があるのでちょっとピンボケ
古地図にある”蓬莱橋”が”巴橋”だって、じっちゃんが言ってた
まあ、じっちゃんの言ってたことを信用していないわけではないが、旧名所跡”蓬莱橋”サインがあった
蓬莱橋は巴橋(震災復興橋梁)ではなかった、震災で蓬莱橋は廃橋になり東にずらして巴橋を架橋したということ
“蓬莱橋”が”巴橋”、というのも可かも
船で参拝できるように、富岡八幡宮に船着場があり史跡サインの対岸にあった
橋の痕跡は残っていないかもしれないが、巴橋を渡って見に行く
巴橋の通りは、お不動さんと八幡様の間の道
この通りは、震災後に和倉橋と共に八幡様境内の中を突っ切ってできた通り
永代通りを右に曲がると、八幡様の鳥居が正面に見える行き止まりの路地がある
古地図と同じ
この辺が蓬莱橋跡地か
巴橋を渡って右の路地だが、私有地の通路となる、その先駐車場、案内図と比べると、
秋葉大権現端運寺の跡のようだった
永代通り通りから駐車場を見ると大島川旧護岸が見える
秋葉大権現端運寺を紫、
蓬莱橋とその路地を青、写真の位置を★(赤)で加筆
素晴らしい!完璧だと思ったが、永代通りの位置がおかしい
蓬莱橋は大島川に架かっていたはず
古地図から震災後にできた永代通りはわからないが、大島川の位置は変わっていないので
歴史探偵業失格 江東区旧名所サインに、ちゃんと”★現在地”が書いてあるぢゃないか・・・
大島川は両岸壁緑地に桜が植わっているので、
越中島橋から東富橋まで、桜の名所になっている
花見で遊覧船がでる
巴橋から撮影、このあたりに蓬莱橋があったようです
東方に東富橋
巴橋から東方東富橋
東富橋の向こうは平久川、平久川の先大島川は、ずれて東に進む
平久橋を渡った先の改修護岸上の遊歩道から東富橋を見る
明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907
大島川ー平久川ー亥之堀川
明治の昔から、大島川は平久川にぶつかってから直行せず
その先南にずれて東進している

八郎左衛門




























