古石場橋西詰から、牡丹町公園方面、牡丹町公園はもともと何だったのか?まさか牡丹栽培を趣味で松平阿波守が行っていた所の訳もなく(開園は1976年4月)古石場公園が運河を埋め立てできた親水公園であることと全く関係がないようだ
明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907 古石場川
関東大震災(1923)の16年前の古地図では
古石場川は大島川から接続、平久川になっているカタチ
江戸時代の古地図では古石場川は確認できない
そもそも永代通りがまだない
古石場橋も震災復興橋梁なので古石場川自体もその時整備されたのだろう
古石場橋から南方を望む親水公園(ぼたん園)奥にじゃぶじゃぶ池、
公園に降りて北方にポンプ所小屋が見える、ここが大横川(大島川)接続
石島橋から見ると、排水管が見える
地理院地図 Vector 1945~1950
古石場川周辺
古石場川は、大島川から分かれて平久川までの川
古石場川は木材というか他の産業で使われてきた運河のようなので、
橋巡りでもするかと
“古石場橋“から
古石場橋東詰、町会神輿蔵がある 橋を渡って公園に降りしばらく行くと、
突き当りに廃橋となった”ちどりばし“の記憶プレート ちどりばしは、
ちどり幼稚園と牡丹町公園を結ぶ 幼稚園児のための人道橋 だった模様、橋を架けた際は古石場川だった?
“雀橋“、牡丹町通りにある郵便局の路地からの公園入口があって、”関口橋“
“小津橋“
小津橋を越えると、路地からの入り口もあって
急に開けてくる
明治幼稚園,明治小学校OBの小津安二郎から、橋名をとったのかも
(実際は、肥料問屋を営んでいた本家が、荷物を運ぶために架けた橋 古石場文化センター)

国際日本文化研究センター 所蔵地図
江東區詳細圖:東京都區分圖 1947
古石場川
地図の通り 小津橋で
平久川からの川が
古石場川に交差している感じで
三角形の水面が出来ている
琴平橋と新開橋の間の南にある水路は今はない
琴平橋上から西方、古石場親水公園を望む この広場の南にトミンハイム、
サービス車両はそこからしか入れない?
琴平橋は、越中島 釣舟橋と大横川東富橋を結ぶ幹線道路
一度、平久川接続点、新開橋跡まで戻る
“旧新開橋“、新開橋は廃橋となった その平久川東河岸道路
平久川護岸整備によって接続点痕跡はない、古石場川終端はバラ園となっていた
バラ園の先は平久川、暗渠排水管がある
通りの東は、古石場川親水公園東入口
入るとブランコのある広場があってその先階段を下りて親水公園レベル
親水公園レベルに親水公園東端、排水口施設がある
“琴平橋“にあがってみてみる
ブランコレベルの地下に排水ポンプ所がある?
橋巡り終了
令和5年(2023)7月2日 琴平橋周辺が冠水(排水ポンプが不調?)、ペーパーは拾い物
三日後には、通行止めながら、なんとか復旧

こいしば

























