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佐賀

大島川西支川 黒江川

大島川西支川 1 / 3

 

1 御舟橋 2 永代公園 3 大島川水門

 

大島川西支川が流れる隅田川左岸は、食糧倉庫群の佐賀町となっている

 

食糧ビルディング (深川正米市場の取引拠点) Wikipedia
など食糧商社の 昭和初期のモダン建築が残っていた

 

 


 

江東区登録無形民俗文化財(民俗芸能)/東京都指定無形民俗文化財(民俗芸能)に

  • 木場の角乗(きばのかくのり):木場の角乗(きばのかくのり)は、江戸時代に木場で材木を扱う川並の仕事の余技として生まれました。タメ竿(先端に鳶口が付いた長い竹竿)を手に持ち、水に浮かべた角材に素足で乗り回転させる「地乗り」を基本として、様々な技が加わり、芸能として発達しました。江東おでかけ情報局
  • 深川の力持:深川の力持(ちからもち)は、江戸時代からの倉庫地帯であった佐賀町界隈(佐賀1・2)で、米俵などの運搬から発生した余技で、江戸時代後期には興行として行われるほど盛んになりました。江東おでかけ情報局


木場の角乗 1 / 4

 

1 深川の力持ち 2 木場公園 3 黒船橋 4 二十間堀


 

大島川西支川 は、大島川(大横川) から 仙台堀川 までを流れる横川

 

松永橋より 仙台堀 を望む

森みたいなのは、清澄庭園公園開放部
西支川は、そのまま解放前の清澄庭園内に延びていたが、
その痕跡は全くない(もっとも大島川西支川として延びていたのかは不明)

 

ここから南に上っていく(起点は、大島川(大横川)なので、上流に向かっていく

 

 

 

 

大島川(大横川) について
大島川は、昭和40年(1965)の河川法改正により大横川に統一された
派流である大島川西支川、大島川東支川、大島川水門等は改称されていない(Wikipedia) ので、この後 大島川 表記

大横川の説明に大島川が出てこない  東京都建設局 

 

 

江東区土木部河川公園課 看板

 

 

 

 

油堀 に向かう途中、中の堀川通門があり、中之堀川への分岐がある

奥に見えるのが”松永橋”

 

 

 


 

 

松永橋より南方を望む

中の堀水門, 元木橋, 油堀川を埋め立ててできた 首都高速9号深川線 が見える

この辺りは、向かって左が 佐賀町
佐賀町一帯は 倉庫街になっていて、暗くなる前に帰らないと、人さらい(労咳患者に男の子の尻の肉を食させると治るという都市伝説)が出没するなどと言われていた(倉庫街なので人通りがなく物騒だったため)、恐ろしい・・・今や建て替えてオフィスビルが増えている、マンションになっていたり

隅田川両岸の財閥系倉庫よりも、やや小ぶりだが

 

 

 

 

江東區詳細圖 東京都區分圖 1947 西支川

 

 

油堀との交差(四辻)、この辺が大島川西支川の中心

深川佐賀町一丁目,二丁目、深川福住一丁目,二丁目

 

元木場は、この辺だが江戸時代に木場に移転してしまい、新木場移転前の貯木した風景はほとんどない

 

 

 

 

 


 

 

 

元木橋より松永橋

油堀と交差 油堀河岸道路の北が、元木橋、南が緑橋

 

 

緑橋は工事中なので、GoogleStreeiViewの画像、御舟橋方面

 

 

 

油堀が埋められて、隅田川大橋ができて久しいが、ここで掘割が交差していたという覚えが全くない
護岸の背が高くてと言っても、橋からは水面が見えたはずだが、覚えていない・・・

 

 

水門があったような気がして痕跡探したが、何しろ護岸橋とも改修工事をしているので、よくわからない

元木橋を北から

そして南から絶賛工事中の緑橋

 

 

 

 

 

 

 

 


 

御舟橋から工事中の緑橋を見る

 

 

 

途中 公園を見かけたので、戻って行ってみる

 

 

 

 

 

 

掘割の跡っぽい公園

佐賀町公園

歴史看板があった、この堀の由来が書いてあるが、堀の名前は書いてなかった

干鰯場跡(ほしかば)

宝永4年(1707)深川小松町(佐賀一丁目)に『元場』を設け明治に至るまで機能していたそう

 

 

 

 

 

明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907

 

堀の名前はわからなかったが

橋の名前がやっと判明、松栄橋

江東区下町文化No238によると、松栄橋は関東大震災後の 昭和3年に架け替えられている

 

 

 

 

 

 

 


 

== 黒江川 ==

台東区立図書館/デジタルアーカイブ

 

改正 深川之内 小名木川ヨリ南之方一円
嘉永3年(1850)冬改

元木場 黒江町周辺、
とっくの昔に無くなった掘割がたくさんある

 

まずは 油堀、
・下の橋から千鳥橋、両側 元木橋.緑橋の西支川交差、
・亀堀分岐(丸太橋)、一ノ木橋
・富岡橋(地図の富岡橋は、通称 閻魔堂橋、
明治34年(1901)に、東京市区改正による道路新設にともない廃橋)その先にあった黒江橋から、
・黒江川分岐、
その対岸、江川堀橋から、
・江川堀分岐、
その先新設富岡橋があったと思われる所からも、
・南に入堀が分岐(山本町入堀 清澄通りになったと思われる、後の永代通り留)
・油堀は曲がって永居橋、平久川にぶつかる

 

五千分一東京図測量原図:東京府武蔵国日本橋区蛎殻町及深川区佐賀町西大工町近傍
明治12年(1884)

黒江川本流がわからない、西支川から?油堀からが奔流と思うのだが
油堀で、黒江川・江川が交差している

山本町堀の油堀の橋は 猪口橋、ここが後の富岡橋(震災後架橋)の場所

黒江川・江川 1 / 4

 

1 黒江川 2 黒亀橋 3 江川堀 4 冬区弁天

明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907 黒江町

 

黒江川は油堀分岐から大島川(大横川)まで、

油堀から(地図に書かれている)八幡橋(現 深川消防署 永代出張所) までが明治34年(1901)新設道路 市電通り(大正震災後 福砂通り)になったと思われる

八幡橋の先は浜辺河岸(現 永代河岸),中島橋(大島川公園)で大島川に接続

 

黒江川は途中福住から西に分岐、佐賀町公園の松栄橋の南 御舟橋で西支川とぶつかっていた
福島橋,八幡橋のラインが永代通りとなる

 

 

明治44年の古地図では黒江川本川は八幡橋より北が明治34年(1901)新設道路で道路になっている
基本深川区史・・に書いてあったと思う

 

江東區詳細圖:東京都區分圖 1947 黒江川

青いライン
 明治34年(1901)廃川となった黒江川本川
赤のライン
 昭和初期に廃川となった 永代通り以南の黒江川本川, 黒江川支川
緑点線 江川

震災前の黒亀橋の位置が、福砂通りの黒亀橋と位置が違う(江川堀橋の位置になった)

 

 

 

 

 

 

痕跡を探しに行ってみる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

油堀(隅田川大橋通り)に架かっていた、閻魔堂橋跡(元富岡橋跡)が北河岸にある
このパネルの対岸辺りが黒江川の始点(幅員は、こんな路地の幅ではない)、黒江橋が架かっていた所(ここが明治34年(1901)の黒亀橋西詰)
この道路の先に行き振り返ると五差路となっている、左(北方)は亀堀から油堀を渡る一ノ木橋に繋がっていた道路(水路になったことはない)、右前方(東方)が黒江川、ここに久中橋があった、黒江川はここを東南に折れて葛西橋通り(明治時代は市電道路?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五差路 南方を望む、左手(東方)から来た黒江川が正面(南方)に曲がって進む
この埋立地の一角にあったのが東京鉄道会社出張所(市電)

葛西橋通り(信号の所)に出た
黒江川は右(南東)に曲がって、消防署まで(ここが八幡橋,市電黒江町駅)

この信号より手前(北西)は区画整理で作られた新設道路で、川があったわけではない、その道路を北西に進むと 油堀 黒亀橋

明治34年(1901)に埋め立てられた黒江川本川はここまで

 

ここから関東大震災後に埋め立てられた黒江川本川

 

消防署わき道を進むと永代河岸通りの先に公園があった 大島川児童遊園と看板がある
この公園の先が大島川(大横川)、
この通りは当時濱辺河岸、ここに架かっていたのが中島橋
(大島川の向こうが中島町、ここから橋の名が付いたと容易に想像できる 陸軍中央糧秣廠と地図に書いてある読めない・・・)

 

歩いてきた道を振り返る、消防署から大島川までが、関東大震災後に埋め立てられた黒江川本川

 

ここから関東大震災後に埋め立てられた黒江川支川

 

御舟橋東詰 南、西支川東河岸に
黒江川東支川の痕跡らしき通りがあった
深川福住一丁目と深川永代二丁目の境

この通りを進むと本川との分岐五差路に出る振り返ると正面建物の両側が、黒江川支川だったことがわかる

 

 

 

五差路の左側,さっきの痕跡っぽい通りは、福住河岸、
五差路の右側は、御船橋通り(?)

黒江川支川に架かっていた橋、坂田橋跡と思われる路地があった

もう一本 奥川橋というのがあったようだが、見当つかず

 

 

 

★ 水の都 福住通り に道路な話は分離しました

黒江川 1 / 4

 

1 黒江川 2 福砂通り 3 大島川水門 4 油堀川


 

== 御舟橋 ==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松栄橋があった道を御舟橋に向かうと
イカ耳に架替工事で外した親柱と震災復興橋梁の看板があった

緑橋は工事中だが、西支川の橋を順次更新しているらしく、御舟橋はピカピカ

御舟橋は、福住のメインストリート

 

御舟橋から福島橋を見る

 

西河岸道路, 護岸改修で両岸に遊歩道が出来ている

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島橋に到達

両岸にイカ耳、
メイツレーン永代(ボウリング場)のあったところがオフィスビルになっていて、 渋沢栄一宅跡の歴史看板

奥に宝くじ売り場のある銀行

 

 

 

 

 

服部半蔵線

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