和倉橋 親柱
和倉橋も震災復興橋梁で、震災後に架けられた
写真は和倉橋から北方を望む。休日のためか自動車も走っていない。(昭和49年5月5日撮影)
休日でも人通りが多く朝っぱらに撮影
空が狭くなった
和倉橋から東方(油堀川)を望む。右側の建物は数矢小学校。永井荷風は作品「深川の散歩」で「かつて八幡宮の裏手から和倉町に臨む油堀の渡し場の残っていたことを、わたくしはただ夢のように思い返すばかりである。」と書いてあるが、その油堀川も埋められ、当時の面影はない。前方は永居橋
和倉橋より東方を望む。右側の建物は数矢小学校、油堀川は埋め立てられクレーン車がうなりをたてている。昔の面影をとどめるものは何一つない。(昭和49年5月5日撮影)
※油堀埋め立て工事中、休工中はガキンチョが怖いもの見たさで侵入していた、護岸縁はグズグズで、立ち入ると 底なし沼 の様だった、膝まで沈んだ奴もいた
子供が何人か埋まっていたりして・・
和倉橋から東方、駐輪場奥、右に建て替えられた数矢小学校。高架橋下遊歩道にフェンスで囲われたプレイグラウンドが出来ている
和倉橋は関東大震災後に帝都復興で架けられた橋(震災復興橋梁)
震災前に油堀に架かっていた橋は、
下ノ橋(河口), 千島橋(西支川), 黒亀橋(福砂通り), 永居橋(平久川)
油堀廃川で、現在すべて廃橋
震災後、油堀北河岸にある永喜橋の入り堀を埋めてお不動さんと八幡様の間の通りを作った際、架けられた
東京市拾五区全図 第十五 深川区全図 明治33年(1900) 和倉橋
赤丸:推定 和倉橋位置
青ライン:大島川 巴橋,油堀 和倉橋,仙台堀 木更木橋の通り(推定)
明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907 数矢町周辺
武田橋という武田堀に油堀川北河岸道路を渡る橋がある
数矢河岸の辺りが八幡堀
その先に永居橋
永居橋から油堀北河岸道路
油堀から永居橋に向かって左に武田堀公園, 右に八幡堀遊歩道入口
道路が武田橋跡で盛り上がっている
永居橋に向かって左に武田堀公園, 右に八幡堀遊歩道入口
江東區詳細圖 東京都區分圖 1947 油堀川
永居橋から先が平久川、その先がよくわからん
組合月報「温故知新」 其のⅧ・達磨船

八郎左衛門












