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木場

上木場 福富川, 吉岡水門

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木場公園から三つ目通りを渡って仙台堀沿いに進むと 江東区深川北スポーツセンター がある
その先に昔、橋があった、吉岡橋, 川の名前は福富川, 水門は吉岡水門 現在 福富川公園(木場の香り)
木場の香り?

河岸には藤棚がある

仙台堀川にそって当時の東平野町から吉永町に架かる吉岡橋の西南詰めに藤棚があった。
明治の終わりごろまで立派な藤の木があり、春先などその景観は見事であった。そのころ京橋や日本橋方面から「藤棚」といえば、そのまま通じた。
現在は当時の面影はないが、川並の古老の話では「筏を藤棚へまわしてくれ」といった調子で「藤棚」という言葉はいまなを生きている。写真は吉岡橋の東方から西南をみたところ。右側の材木がたくさん積まれているあたりに藤棚があった。-昭和50年深川木場-
福富川吉岡橋から要橋(昭和49年7月9日撮影)

仙台堀から、写真中央に吉岡橋 木場 昭和48年の風景 木場同友会

 

 

吉岡水門、水門奥は木場の材木屋街
奥に永元橋が見える
1976-11-25

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台堀川と吉岡橋全景
1983-03-14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉岡橋東詰から
1976-11-25

でぃすかばー・とうきょう_歩いて見ました東京の街より
(残念ながらHTTPS[SSL]化されていないのでURL貼れません, 画像はDLしてます)

 

 

 

 

公園に入ってみる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず左にポンプ室(仙台堀に排水管出ていたか?どこの本川と繋がっている?)奥に深川北スポーツセンター
公園案内図(西上で書かれている 案内図の左から北に向かって入園している)
木場公園(西)に向かって分かれている、深川北スポーツセンターの真裏

西に向かって木場公園の先亥之堀までが 福富川 本川

 

河岸に怪しい水道橋跡みたいな配管があった
護岸を見ても何もなし、いったいどこに流れているのか

 

 

 

 

曲がらずにまっすぐ進む(ここから北の向かって支川)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永本橋(浄心寺の通り、廃橋)、くぐらず橋に上がる
橋の上からいま来た公園を見る
公園を進むとある西山橋方面

 

永元橋から吉岡水門
木場 昭和48年の風景 木場同友会

途中左に分かれる福富川支川(?)がある、三つ目通り富島橋、その先大横川につながる

 

 

 

 

 

永元橋から西山橋
木場 昭和48年の風景 木場同友会

 

 

 

 

 

 

 

福富川公園終点の西山橋(廃橋)
この先全くよくわからない

UR都市機構が掘割の跡?

 

 

 

 

 

 

 

さらに北に行った道路に
“三好三丁目児童遊園”があった

 

地理院地図 Vector 1979~1983

1947 の古地図では水面になっていないが、
木場公園が埋め立てが進んだ航空写真では更地になっている

この公園が水面かどうかわからないが、木材資材置場だったのでは?
福富川は西山橋が堀留で、通りの北は貯木場だった模様


 

公園を分岐点まで戻る、深川北スポーツセンター裏

 

深川北スポーツセンター勝手口?スロープ護岸跡の内側

スポーツセンターができるまで深川郵便局があった(現在東陽町なので、仮庁舎?)

護岸跡がずっと続いている

 

 

 

 

 

地理院地図Vector(試験公開) 1945~50

 

この先木場公園に向かって進み、子供らが”ぐらぐら橋”と呼んでいた橋があった痕跡を探しに行く

 

東京市拾五区全図 第十五 深川区全図 明治33年(1900) 冨島橋

真ん中辺の”徳兵橋”(ちょっと読みづらい)かと思ったが
そこじゃない と言われた

現調に行く

 

 

福富川から製材所に原木を引き上げる護岸の切れ目を発見
切れ目を締め切ってから西1/3を改修したらしく、新しい

製材所の対岸、スポーツセンターになったところは貯木場、仕切られていて囲いがあった、そこに工場から貯木場に渡る橋があった、手すりもあって、どうもキャットウォークに足場板を張ったような橋だったらしい

 

1974~78, 1961~69 (航空写真リンク) 上の 1945~50 では戦後すぐで橋がない
製材工場の新木場移転で護岸は締め切り、ぐらぐら橋もなくなり、公園となっている

 

 

 

昭和30年頃の福富川

ミツカン水の文化センター より
<提供:江東区教育委員会>

 

江東区史などに載っている超有名な写真、何をみても
タイトルは”昭和30年頃の福富川”、
撮影場所がわからない

 

名探偵が推理、手すりもないし 年代的にも”ぐらぐら橋”ではない、写真奥に看板か見えるので、入り堀の入り口?
だとしたら川の船上から撮っていることになるが、角度がおかしい(筏にタメ竿もったおっさんが写っている)、木場公園で埋まってしまった福富川ではなさそう
よって、冨島橋から西方を映したものでは?じっちゃんの名にかけて
この木橋を ベーダー橋とする(本名がわからないので)

※素人の写真ではない、見れば見るほど合成写真のような気がしてきた・・・だとしたら、どこだか判らない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋をくぐる(アヒルのパン屋さんの通り、公園案内図ではこの橋が”冨島橋”?勝手に命名 ベーダー橋)

※この橋の様なものは、どうやら橋ではないらしい、元々ここに道路も橋もなく、公園になってからできたものらしいっすよ(よって名前などない)

その先、三つ目通りに上がる階段をスロープが見えてくる
階段を上ると、福富川公園(木場の香り)冨島橋口

材木屋は”木の香り”も鼻がマヒしてわからない、もちろん”新木場の香り”も、
“木場の香り”・・・判らなかった~

 

公園内に冨島橋の親柱モニュメントと歴史看板

福富川は、三つ目通り冨島橋をくぐって流れ、その先大横川まで続いていたらしい

 

 

 

 

 

 

 

 

富島橋南詰親柱近景1983-02-22

冨島橋親柱モニュメントのパネルによると、上木場 平野4丁目に(民間の手によって)昭和4年にかけられた鋼橋と書かれている
ということで、三つ目通りに架かっていたのが 冨島橋
公園案内図にある冨島橋は公園東留が三つ目通りだと、公園内名前がわからなくて勝手に命名したベーダー橋の事で、調査終了

 

ベーダー橋北詰に平野地区集会所があり、道の説明を材木屋は、「三つ目のJKのうらの会長専用Pの通りを入った、橋んとこ」などと言って通っちゃう、なぞなぞ じゃねーよ

 

とにかく、この辺の橋の名前は 鶴,亀,富,木,黒,海,島,汐 の字が大抵入っている、猪,亥(井)も
もちろん旧町名の一字も

 

 

 

 

 

吉岡 すいもん

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