堅川水門 一之橋から
ありそうであった忠臣蔵歴史看板
両国橋番所が討ち入りを果たした四十七士を通さなかった?ので、永代橋まで一之橋通りを通ったという逸話から
小名木川は江戸幕府開府から掘削を開始したらしいが、堅川は edo→tokyo – 東京の町並みから江戸の輪郭を探る (edokara.tokyo)によると、明暦の大火の後徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政が、万治2年(1659年)、両国橋が完成したのを皮切りに、横川, 十間川, 北十間川などの水路網も整備したとある(このサイトはすごい)
この横川とは大横川の事、幕府は大横川の南限を小名木川にしたとどっかで読んだが、書いていない(小名木川より南は亥之堀川として開削)
十間川は横十間川でしょう(現在は)

国際日本文化研究センター 所蔵地図
墨田區詳細圖: 東京都區分圖 1947 堅川
江東區詳細圖: 東京都區分圖 1947 堅川
菊花橋南詰から西、
三之橋(三つ目通り)方面
菊花橋から西、堅川は大横川交差(四辻)で締め切り
新辻橋は撤去工事中、新辻橋跡南詰から
新辻橋は大門通りが堅川に架かる橋だった
堅川。新辻橋から牝力橋方面を望む。上は首都高速七号線。
(昭和48年9月12日撮影)
昭和50年深川木場
新辻橋は大横川と交差する堅川東側の橋、牝力橋は牡丹橋の誤植か
新辻橋から東方牡丹橋を望むってこと
大横川~横十間川 間
千葉街道沿い(千葉街道の南)に堅川を開削していった 千葉街道の大横川に架かっていた橋は北辻橋
靖国通り,京葉道路は関東大震災後の復興道路として、首都高7号線は昭和46年(1971)に全線開通
大横川より東の堅川は、新辻川跡(現在工事中),牡丹橋跡から
横十間川まで墨田区立竪川親水公園
旧亀嶋橋(横十間川)以東は、
江東区立竪川河川敷公園として
旧中川逆井橋付近で首都高速から離れ、
虹の大橋まで延⻑2.4km の公園となっている

山崎五兵衛











