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本所

六間堀 五間堀

左岸 2 / 4

 

1 小名木川2 六間堀 五間堀 3 堅川 4 本所御蔵

 

 

本所深川繪圖 1858 六間堀・五間堀

 

六間堀は、小名木川水門が出来たところくらいから堅川 千歳橋までの堀、五間堀は資料が結構あるが、六間堀は 江東区文化コミュニティ財団 深川の掘割 くらいしか
本所深川間にあったので、墨田区観光協会 六間堀跡

大戦後、塵芥処理で埋められて埋立地は売却されてしまった

 

 

 

八名川町の名があるが、川由来の町名ではなく、神田から八名川町が大火で町名ごと移転してきた為、
昭和22年(1947)に新大橋三丁目となっている、小学校,公園にその名が残っている

 

堅川と小名木川の間に、新大橋通りがある、六間堀に架かっていたのは北ノ橋、五間堀は伊予橋(伊豫橋)
隅田川と六間堀の間 江東区区新大橋は新大橋通りを跨いでおり、北は墨田区千歳、区境界はガタガタ
深川森下と墨田区立川境界は五間堀、菊川との境界は新大橋通り・・なんでガタガタのままなのか?

新大橋といえば

 

『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』歌川広重 安政3年(1856) – Online Collection of Brooklyn Museum – public domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=226069 による

 

これはゴッホが油絵で模写したことで超有名

 

 

 

 

 

 

「東京二十景」より『新大橋』川瀬巴水 大正15年 (1926) – https://twitter.com/aic_asianart/status/1343747270743908358 – public domain,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12740231 による

 

 

 

 

なぜに両作品共 雨なのか・・・

 

 

地理院地図 Vector (試験公開) 1936~1942
六間堀

六間堀は小名木川がら新大橋通りを越えて江東区新大橋と墨田区千歳の境界をぬけて堅川まで

戦前まで六間堀はあった

五間堀はすでに埋め立てられている

 

 

== 六間堀 ==

 

 

新大橋通りの北
六間堀から五間堀が分かれる所に六間堀公園がある

六間堀児童遊園 すごく小さい公園

 

 

 

 

 

公園の西の路地がどうやら六間堀の跡

北を見ると堅川に向かって路地が延々と伸びている

南は新大橋通り北ノ橋に向かっている

 

 

 

六間堀があったと思われる通りを小名木川に向かう

 

六間堀東河岸は、小名木川口 現行護岸までびっちり建物が建っている

六間堀西河岸小名木川口は、小名木川水門の位置と重なっておりよくわからない

両河岸道路は一方通行になっており車で入り込むと抜け出せない

 

 


 

== 五間堀 ==

 

明治四十年一月調査東京市深川區全圖 1907 森下

ジグザクで有名な五間堀、本所深川の境界となっている
この古地図では六間堀より小名木川までつながっている
江東区 史跡 > 五間堀跡 これによると
「昭和11年(1936)・同30年(1955)の二度の埋め立てにより、現在、五間堀は全て埋め立てられている。」とある

 

 

 

 

法務局(東京法務局 墨田出張所)に行くときに大江戸線森下駅出口A5に五間堀公園がある

六間堀より五間堀児童遊園あたりで分かれて清澄通りを渡ったところから公園が始まって約100mで宅地となる

その先 菊一児童公園(伊予橋際公衆便所 これは江東区)があって、新大橋通りを渡ると 元高橋ビジネスホテル街

 

 

森下のらくろ通り(夜店通り)の消防官舎、森下三丁目第三児童遊園
その裏が森下文化センター,高森公園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高森公園東河岸、小名木川護岸に突き当たる
高森公園は 高橋-森下 から名前を撮ったと思われる、左は都営アパート
 先に進むと小名木川護岸への出口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小名木川護岸に出ると 小名木川係留保管施設(西深川橋上流) そして東深川橋
五間堀痕跡はまるでナシ

東西幹川 小名木川-境川 1 / 7

 

1 六間堀 2 大横川 3 亥之堀 4 横十間

 

5 境川 6 砂町川 7 葛西橋

 

 

 

 

 

八郎左衛門

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