小名木川より北部大横川、堅川
明暦の大火の後徳山五兵衛重政と山崎四郎左衛門重政が、万治2年(1659年)、両国橋が完成したのを皮切りに、横川, 十間川, 北十間川などの水路網も整備した
愛称通りを行く-17 (江東区)より
※横川系(南北の運河)は、縦長なのでBlog書いていておさまりが悪いので分割してます
扇橋東詰より大横川護岸遊歩道に下り、
小名木川接続点を見る
奥(北)は大横川始点 その先に猿江橋、
左(東)は、小名木川に架かる新高橋、
この先三つある橋の先が高橋
猿江橋から菊川橋を望む。(昭和49年2月12日撮影)
猿江橋は、写真奥 四ツ目の先(東)に江東西税務署、西は森下文化センターの通り
菊川橋は新大橋通りの橋、
東に猿江恩賜公園, 横十間川
菊川橋から北に菊柳橋
菊柳橋から南辻橋を望む。(昭和49年7月30日撮影)
墨田區詳細圖:東京都區分圖 1947 横川ー堅川
江東区側に小名木川があるのでちょちょぎれているが
猿江橋は江東区
そこから北、菊川橋からは墨田区の橋
南辻橋
南辻橋から北方を望む。前方は撞木橋。上は首都高速道路七号線。(昭和49年7月18日撮影)
震災後(たぶん)三之橋と大横川の間の堅川に菊花橋が新設、
南辻橋,新辻橋はそれぞれ河岸道の外側にできた新設橋に名前が移っている、
千葉街道の北辻橋は、名前がなくなり、新設橋は撞木橋という名になった
南辻橋から北方を望む堅川に高架(首都高速7号線)、しかも工事中,
堅川菊花橋より新辻橋方向を見ると堅川は締め切りとなっている
新辻橋
新辻橋の様子を見に行くと
新辻橋撤去・道路築造工事中
川の埋め立ては終わっている
明治四十年一月調査
東京市本所區全圖 1907 堅川辻橋
大横川と堅川の交差部は大横川に
北辻橋,南辻橋、堅川の四之橋(西)方に新辻橋が架かっていた(堅川の東に三之橋)
この三橋をまとめて撞木橋(しゅもく、Tの字型のシュモクサメのしゅもく)と呼んでいたらしい
北辻橋, 撞木橋
菊花橋を渡ると
多分北辻橋跡の道路(旧千葉街道?)
撞木橋跡(馬車通り)がある
撞木橋跡から堅川を見ると埋め立てられて公園になっていた
菊花橋から北辻橋を見たときに排水管があったので
公園のポンプ所がその辺にある
堅川より北、北十間川までは
大横川は、埋められ暗渠化され
大横川親水公園
(墨田区 総延長約1800m)となっている
平成5年(1993)4月1日開園
撞木橋跡に「撞木橋の由来」銘板付きの鐘がある
最初は長さ10間、幅2間の木橋でしたが、その後、幾度となく架け替えられ、昭和5年(1330)7月には、鋼橋(トラス)になりました。
この橋は、大横川親水河川整備事業により、その役目を終えて昭和62年(1987)10月に撤去されました。
なお、ここは堅川・大横川の交差辻なので、北辻橋、南辻橋、新辻橋などが架けられましたが、北辻橋西側の大横川河岸に「本所時之鐘」の鐘撞堂があったことから、これらの橋は俗称として「撞木橋」と呼ばれてきました。
その後、北辻橋が撞木橋を正式に名称とするようになったものと思われます。
Tの字型のシュモクサメのしゅもくしか説明のしようがなかったが、鐘撞堂(かねつき)の鐘をたたく
Tの字型(トンカチ型)の道具が撞木(しゅもく)だということ、
勉強になるなぁ、四ツ辻の三方の形態だからじゃなかった

山崎五兵衛






















