横十間川を、小名木川(クローバー橋)より北上
本村橋(新大橋通り) の南北が 猿江御材木蔵
猿江恩賜公園(北)
大正13年に昭和天皇の成婚を記念して、現在の南側地区が明治政府より東京市に下賜され昭和7年に旧猿江恩賜公園として開園し、北側地区は昭和21年の計画決定から38年、昭和58年に全園開園となりました。
東京都東部7公園 (アメニス東部地区グループ) TOP>猿江恩賜公園
猿江貯木場の全景 (毛利小学校屋上から 昭和48年11月15日撮影)
貯木場跡(ミニ木蔵)
猿江恩賜公園マネジメントプラン より
猿江恩賜公園は幕府~皇室御用材の貯木場(木蔵)として由緒ある土地であった。
東京営林局長は、猿江貯木場としての歴史に鑑み、後世への伝承ならびに、一部遺物の保存を買収の条件としたので、その後の公園計画にこの条件が反映されることになった(ミニ木蔵)。
※きぐら と読む
資料2 猿江恩賜公園に関する資料
(1)公園の沿革より抜粋
-
- 享保年間
本所横網町より移転された幕府の材木貯蔵所で猿江御材木蔵と称され明治初年宮内省御料局貯材所となり南葛第一御料地と称せられた - 大正13年 1月 (1924)
昭和天皇陛下御成婚記念として公園及び社会事業施設用地とすべき条件のもとに御料地の南半分、面積 1,972坪を東京市に下賜 - 昭和 4年 7月(1929)
工事に着手、昭和 7年 4月竣功 - 昭和21年 4月(1946)
貯木場を含む区域を戦災復興院告示第 14号により東京都市計画猿江公園として決定 - 昭和 40年 3月(1965)
ボート池を埋立た場所に、江東公会堂を設置許可。また、公園事務所を新築 - 昭和 56年12月(1981)
追加開園 93,326 m2 (旧東京営林局の猿江貯木場跡地)
- 享保年間
猿江恩賜公園(南) ティアラ江東
猿江恩賜公園にある「猿江材木蔵跡」の史跡
1973(昭和48年9月11日撮影)
※どこにあったのかは不明
2026
現在は、公園南部の門の内側にある,
地理院地図 Vector(試験公開)1945~1950
御料地の南半分は、東京都市計画猿江公園として開放されている半円状の池はボート乗り場
昭和40年2月(1965) 旧江東公会堂 開館
平成6年12月(1994) ティアラこうとう(TIARA KOTO) 開館
藤森稲荷神社 徳川時代からこの地にあったといわれる。戦災で一度焼失したが、昭和21年(1946)に復元。東京署は毎年4月の新年度初公売の日に業者と共に祭礼を行っている(昭和48年9月11日撮影)
昭和52年(1977)春、東京都の都市計画による猿江貯木場の移転に伴い、現潮見駅前に遷座されるが、平成13年(2001)12月崇敬なる旧東京官材協同組合会長氏橋幸次郎氏及び東京広葉樹連合会々長長谷川健治氏他関係者氏の総意尽力で再び縁深きこの猿江の地に戻り、猿江神社の境内に安宮鎮座される。
忍者ブログ 東京都江東区の歴史 宮司 神保恵一 謹書 より
横十間川。新大橋通り本村橋から北方を望む
左側の建物は東京営林署猿江貯木場。
(昭和49年2月12日撮影)
この先横十間川は、堅川(首都高速7号線,錦糸町)交差後、京葉道路 松代橋,蔵前橋通り 天神橋の先、東京スカイツリーある北十間川に

ティアラ












