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深川

小名木川

 

小名木川
東西を一直線に横断する1級河川。
小名木川がいつ開削されたか明らかではないが、初めは塩の輸送路として、天正慶長のころ水路が開かれ、重要性が増すにつれて拡張されたものといわれている。
前方は新扇橋。その向こうは工事中の扇橋閘門
(新高橋から 昭和49年1月28日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小松橋東方に扇橋閘門がある 隅田川・中川(荒川放水路)間の水位調整を行っている(新扇橋と小松橋の間)

 

日本のパナマ運河と言われているが、規模は相当違う 通行する船は水位調整中は両水門間で待っている

 

 

 

 

新高橋と新扇橋 [木材よもやま話], [橋巡り(橋梁カード)] の間で大横川と交差する
新高橋といっても、高橋(清澄通り)と新高橋の間に3つ橋(西深川橋, 東深川橋, 大富橋)がある、大富橋は三つ目通りに架かる

 

小名木川橋は四ツ目通りに架かる橋

 

その名も小名木川橋、小名木川五本松跡(江東おでかけ情報局)などがあったり交通の拠点
猿江船改番所は新扇橋北詰にあったが
東方に横十間川交差に架かるクローバー橋が見える

 

小名木川橋あたりから小名木川水位調整をきちんとして、堤防を切り下げて、道路から川が見えるようになった、遊歩道が整備されている

この先 仙台堀川(農業用水としての砂町運河)終点、
中川船番所があって、中川(利根川水系)までが小名木川
荒川ロックゲートは、旧中川と荒川放水路の水門

 

 

クローバー橋[木材よもやま話], [橋巡り(橋梁カード)]から、 小名木橋を望む その先は小松橋

 

 

 

 

 

 

 

東を見ると逆光

JR貨物越中島線の小名木川橋梁
南に小名木川駅があったので周辺は倉庫街だった

駅は廃駅となったが、越中島線は越中島駅までは現役、ロングレールを運んでいる
その先晴海線は廃線となっている

 

 

 

明治通り新開橋を渡り、小名木川南河岸を進み 塩の道橋 に上がる
(どうも 奥の細道 に引っ張られて 塩の細道 と間違いがち)

 

塩の道橋から西は丸八橋 (明治通りから河岸通りでくぐった橋)
はるか東に番所橋、
共に通りの名になっている

小名木川は、行徳塩田から塩を運ぶ”塩の道”として幕府が、江戸開発の一丁目として開削を始めた運河

 

 

 

この先、中川を越して江戸川に通じる運河、船堀川(新川)があった ※荒川放水路はまだなかった
(江戸川区 新川千本桜 )

 

 


 

萬年橋 [木材よもやま話], [橋巡り(橋梁カード)]

萬年橋 小名木川が隅田川に合流する口元に架けられ深川でもっとも古い橋の一つとされている。
この付近は眺めが素晴らしく江戸名所のひとつで、北斎も萬年橋を描いている。
橋の下は舟に引かれて登っていくラワン丸太の筏。橋の北詰には東京都の史跡となっている芭蕉庵跡がある。
(新小名木川水門から 昭和49年7月30日撮影)

 

 

国際日本文化研究センター 米国議会図書館所蔵浮世絵

 

絵師名 :葛飾北斎
組物名 : 富嶽三十六景
題名 : 深川万年橋下
制作年 : /
紙型/技法 : 横大判/錦絵
寸法 :
備考 : アダチ判の昭和の複製

 

 


 

新小名木川水門を通り木場に向かう筏 (昭和49年7月10日撮影)

 

新扇橋の民営機械製粉業発祥の地モニュメントにあるように、製粉,精糖などの工場が川沿いに立ち並んでいる木材産業のイメージはあまりなかった

 

 

新小名木川水門、昭和36年竣工、昭和49年の写真と見比べて改修工事を経て#1ゲートは廃止?

そのあたりに、六間堀への入り口があった

 

 

 

 

 


 

六間堀川・五間堀

 

本所深川繪圖 1858 六間堀・五間堀

 

六間堀は、小名木川水門が出来たところくらいから堅川 千歳橋までの堀

大戦後、塵芥処理で埋められて埋立地は売却されてしまった

 

 

現地に行ったが、建て込んでいて、痕跡散在しており、別ページ・・・

 

 

 


 

隅田川対岸中洲の隅田川テラスより萬年橋

 

 

 

 

 

 

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