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日本橋

元木場 神田佐久間町

元木場 1 / 4

 

1 佐久間町 2 本材木町 3 亀堀 4 中之堀

 


 

神田佐久間町 は、佐久間町公園に、歴史看板(千代田区町名由来板)がある

ネットに資料がないので、書き写し

佐久間町の町名は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来すると伝わっています。実際この地域は、江戸でも早い時期から商人や職人が集まる町でした。 一方でこの地域は、火事が多かったことも古文書に記されています。享保三年(1718)には、火災で焼け落ちた町の一部が防火のため火除地に定められ、そこに住んでいた人々は元誓願寺(現在の神田東松下町周辺)に移動するよう命じられます。しかし町の人にとって河岸(船荷を上げ下ろしする場所)に隣接したこの地から離れるのは好ましいことではなかったようです。そこで奉行所に願い出て、焚火をしないことや、建物の間を空けるといった条件付きで、火除地の一部の使用許可を得ました。その結果、この界隈は商人や職人たちの町として発展を続け、明治維新を迎えています。
千代田区観光協会 千代田区の人々 では、佐久間平八は「佐久間町の名の由来となった江戸期の材木商。佐久間町には、とくに材木問屋が多く、材木商たちの間で「神田材木町」とよばれるほどだった。佐久間平八は中でも傑出した人物であったのだろう。」と紹介されている
森のようだったが、小ざっぱりした公園に改修されている、歴史看板もでかくなった
 

 

 

神田佐久間町四丁目 この看板

神田佐久間町三丁目 は見つからなかった 

 

 

 

 

明治四十年一月調査東京市神田區全圖 内容年代 1907

 

北方は、藤堂和泉守上屋敷跡 神田和泉町

お玉が池は、神田川を越えた岩本町にあった

総武線は隅田川を渡っていなかった(御茶ノ水,両国間開通は昭和7年(1932))

 

 

 

 

千代田区町名由来板の隣に、ラジオ体操会発祥の地 記念碑がある
こんな立派がったけ?(何代目?)

 

 

 

 

 

ここに 佐久間小学校跡地の立て看板

平成6年(1994) 結構遠い今川焼で有名な今川町(今川橋,現神田鍛冶町)の 今川小学校と共に 和泉町に新設された和泉小学校統合された

 

 

 

 

 

 

ちなみに 神田佐久間町は 1丁目 ~4丁目 (住居表示実施)

神田佐久間町1丁目には、入船堀(日通堀? 埋め立てられ、護岸の後もなくなった 現秋葉原公園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神田川河岸側締め切り跡には千代田区出張所, 佐久間橋児童遊園(親水テラス・船着き場)がある江東区でもよく見る公園として利用されている
和泉橋南詰より、神田川和泉橋防災船着場、奥の建物は千代田区出張所
外堀通りに架かっていた佐久間橋親柱があった、南詰(本体の幅ではない)、北詰は電気街

 

北詰めは堀を埋め立てただけの公園だった
周囲は護岸の石組みが表しのままだった

GoogleSteetView2009 公園内は階段で下がっていたところに木が植わっている(喫煙所ではない)

 

いまや周囲の石垣(じゃなかった護岸)は撤去されて親柱以外跡形もない

 

 

 

 

関東大震災後に昭和通りが出来て、1丁目と2~4丁目は分断された
2~4丁目の神田川河岸は、神田佐久間町河岸町(各佐久間町に千代田区町名由来板がある,内容は同じ)

もちろん 材木屋の痕跡は一切ない

 

 

 

 

 

 

さくま平八

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