小名木川から大規模改修を行ってきた仙台堀川公園だが、ここから昔のままの公園となる
江東區詳細圖:東京都區分圖 1947 砂町川東
新旧の境が関橋か
南に延びる入り堀は、埋められゴルフ練習場の西にあった流れるプール, テニスコート、その後トピレックプラザ東南角入口歩行者通路,マンションになっている
葛西橋通りに架かる橋の名前は不明 (仮称 宮鉄橋とする)
橋の名前判明 “湊野橋” みなとの、
昭和13年(1938)住宅地図に記載あり
福砂通り延伸、葛西橋通りとなって消滅した
家庭農園となった釣り堀(駐車場)の切れ目に入り口があるのでそこから入場
昔ながらの公園のたたずまいがそこにあった
清洲橋通りの向こうから暗渠でひっぱってきた水路、水門があった
雰囲気ありあり
旧大石屋住宅 江東区指定有形文化財(建築物)
区内最古の半農半漁の典型的木造かやぶき住宅建築だそう
いったいどこから移築したのかは書いていない
いったん外に出て水路護岸、
舟入川まで東に延びてていた埋め立てられた砂町川部との接続部あたり、
吉岡橋があったところの公園入口、真正面が 都立東高
砂町川東部を埋め立て建てたという東京都立東高等学校
沿革
昭和34年(1959) 都立浅草高等学校として設置
昭和39年(1964) 墨田区横川橋4丁目1番地の校舎に移転、東京都立東高等学校と校名変更
昭和40年(1965) 江東区南砂町6~7丁目に8,000坪の本校移転用地を教育委員会において決定
昭和42年(1966) 新校舎へ移転
仙台堀川について
昭和8年(1933)頃 砂町運河 完成
昭和23年(1948) 東京都に移管、砂町川となる
東高校 沿革から、砂町川(入船川~吉岡橋間)は昭和39年(1964)には埋め立てが完了したと推察
昭和40年(1965) 河川法改正により、仙台堀川に名称統一
国際日本文化研究センター 所蔵地図
東京都市計畫圖 1960 より 砂町川・舟入川・境川を書き入れ
- 青線が 小名木川, 横十間川, 仙台堀川(深川部)
- ピンクが 境川
- 水色が 砂町川(砂町運河)
- オレンジが 入船川、黄緑は 元〆川
疝気稲荷鳥居と社殿遠景 1979-04-12
昭和42年(1967)習志野市に移転
国際日本文化研究センター 所蔵地図
東京全図(新撰東京全図) 明治25年 1892
境川 葛飾郡用水,海岸線
境川の南の横十間川から分かれる川は”元〆川”、埋められ(?) 現 仙気稲荷通り,元八幡通り、六地蔵から北に境川までの川は”西横堀”、その先”東横堀”砂町川福島橋の通り
地理院地図 Vector(試験公開)1945~50
都立東高は川を埋めたところ、
北の材木池は区立二砂小となった
トピレックプラザ(1975開業)はまだない
ゴルフ練習場は航空写真をみると60年代から存在していた?
舟入川
舟入川は昭和13年(1938)から埋め立てが始まり
砂町川の旧舟入川合流点から横十間川合流点までの東西の一線は1960年代には埋め立てが終了している
葛西橋のたもと神明通りに舟入川公園がある
公園の左奥に緑地、
右に防災倉庫のある川の痕跡
ここが地図で見ると砂町運河との接続点舟入川跡の看板があった
旧大石家住宅がどこから移築されたか看板に書いていなかったが、江東区 愛称通りを行く(23)四十町通りこの記事で旧大石家住宅が舟入川南端堀留にあったことが分かった
ちなみに四十町通の先に”袖ヶ浦海水浴場”があった
隣(?)の”砂町海水浴場”は東京郊外電車回遊図絵(私鉄観光名所図)に載せてあるくらいだから、そこそこ有名だった(認知度があった)のだろう
江戸東京博物館デジタルアーカイブス 東京郊外電車回遊図絵 昭和4年(1929)
この図絵の解像度が低かったが、地下鉄博物館にパネルになっていたものより

ひらの甚四郎長久





















